道草Web

金華山と天童高原

→梓編年

2004年10月15日 金曜日

快晴。

 東京駅へ30分ほど早く着いたらすでにチャウがいて、予定していたMaxより一台早いやまびこ59号で15時16分出発。仙台着17時12分。駅の正宗像前で待ち合わせは6時の約束だから大分早い。まだ仕事中のカメちゃんに連絡して到着していることを告げておく。しばらく時間をつぶすうち、まずカメちゃんが合流。次ぎに、すでに朝から仙台探訪を終えてビールをやっていたという冨山さん、後藤さん、そして、われわれより後発の金谷氏とひととおり揃う。駅前の十字屋で宴会と明日の行動用の食材などを仕込んで、市営バスで交通局大学病院前まで。ここからカメ邸までは数分の距離だ。

さっそく宴会を開始。大森氏がいないので刺身をOJが担当。イサキとホウボウは三枚に下ろしてあるので、皮を引いて小骨をすくだけ。ホウボウは合格、イサキもまあまあ。あとはトンとろのネギ風味の塩焼、アスパラとエリンギの焼物など。最後はチャウのきりたんぽ鍋で締める。これは大好評だった。宴会を開始してまもなく、田中君、善さんと相次いで到着。大分遅くなって、お嬢さん宅へ寄っていた後藤さんも到着し、今回の全員がそろった。

2004年10月16日 土曜日

金華山。高曇りで風は冷たいが天気は安定している。

8時過ぎにカメちゃん宅を出てバスで仙台駅へ。仙石線で石巻、そこから石巻線へ乗り換えて女川へゆくのだが、タイミング悪く電車は出たばかり。行動食を仕入れるなどして時間をつぶして仙台駅を出発(9:00)。仙石線はしばらく地下鉄状態で、仙台市街をはずれてから地上へ出る。ほどほどの混雑で、着席できなかったので先頭車両から郊外の風景を見ながらゆく。大都市の郊外は日本全国どこへいってもさほどの差異はないが、この沿線には、多賀城、塩竈、松島などと著名な観光地が多い。多賀城は、最初は相撲取りの名前として憶え、のちに『奥の細道』にも記載があり、大和朝廷が蝦夷防御のために築いた最前線の砦があったことを知った。観光地の筆頭は松島(駅名は松島海岸--9:30)。このあたりでJRは海岸線のすぐそばを縫うように進み、ほんの数mほどのところに波が打ち寄せている。これでは台風のときはどうなるかと思うが、おそらくリアス式の複雑に入り組んだ奥にあるために、外海の干満の差がさほど影響しないのだろうか。

石巻で単線のディーゼル列車に乗り換える。ここから先は、さすがにローカル色が濃くなる。沿線の木立が間近に迫るようになり、短い馬蹄形のトンネルをつぎつぎとくぐってゆく。ここで善さんがまた疑問を呈して、なぜこのトンネルはU字形でなく馬蹄形なのかと問う。あとで聞いたのだが、後藤さんの解釈では、掘削する体積を少なくして工費を安くあげるためだろうとのこと。

女川の駅(10:47)は、列車を下りてホームを進行方向へ進むとそのまま改札がある。これは終点駅ならではの構造だ。改札を出ればお決まりの小さな駅前広場があり、数台のタクシーがたむろしている。山は駅のすぐそばまでせまっているし、海もそう遠くはなさそうだ。出航まであまり時間はないというので、さっそく港へ向かう。女川観光埠頭の左側に大型の船、反対に小型の船が停泊していたが、金華山行きはそのどちらでもなかった。時間をつぶすうちに、待合いの客のあいだから歓声がした。それまで気づかなかったが、釣り人が魚を釣り上げたらしい。だがどうも様子が違う。釣り人は埠頭から棹を延ばしているのではなく、埠頭の床のあちこちに開いている塩ビのパイプに糸を垂らしている。そうしたパイプの一本から魚を引き出している。こぶりのアイナメだ。なんとパイプを通して埠頭の底の魚を釣っているのだ。パイプの径は10センチあるかないか。大型なら穴は通らないから、糸を切るしかないだろう。面白い釣りもあったものだ。そのあとまたすぐに同じような形のアイナメが釣れていたから、効率はいいらしい。

まもなく出島・江島行きの小型船が出航し、そのあとへすぐカタマラン(双胴船)の金華山行きレスポアール号が入港する。いちじレスポアールって言葉が流行って、飲み屋や喫茶店にやたらにこの名前がついた時期があった。最近はさすがにすたれたが、あれはアンドレ・マルローの『希望 Le Espoir』の影響だったのかなあ。あの本は読んだが、もう中身はさっぱり憶えていない。船は折り返しですぐに出航する(11:07)。

曇っているせいで海の色は冴えない。船に乗ると腹がへり、山頂用のムスビを先に食べてすぐに眠ってしまった。船は金華山の黄金山神社のすぐ下の埠頭へ着く(11:42)。金華山は400mほどの島山だが、港から歩き出すのだから正味その高さを登ることになる。船を下りるとさっそくシカに出会う。奈良の春日神社や広島の厳島神社と同じで、神域の殺生は禁じられているので野生のシカはいたるところにいる。ただ、そうはいっても増えすぎれば植生が破壊されるので間引くことがあるらしい。その無知と無邪気をたたえたつぶらな瞳の出迎えを受けながら急な坂道を登る。最初は舗装道路だが、斜度は相当なものだ。初っ端から心臓があえぐ。

島を時計回りに巻くように登る道路から直角に山側へ折れて神社の参道がはじまる。やや斜度が落ちて草地に樹木が散在する光景になるが、なにか普通と違う。草地がきれいに刈られているのはシカのせいなのはわかる。どうやら高木の様子が変なのだ。樹種はクリ、ブナ、カヤなどだがどれも丈が短く、奇妙に曲がりくねっていたり、樹幹がコブコブになっていたり、あるいは根が異様に太く地表をのたうっていたりする。理由をあれこれ考えたが、花崗岩を主体とする島で地味がやせていて深く根をおろせないからではなかろうか。栄養不足ですくすくとは育たず、根を下へのばせないので地表を這うようになるのだろう。

黄金山神社は、神域の規模はさほどではないが、本格的な神社建築の様式を満たしている。本殿、拝殿は明治後期に建てられた総欅造りだそうだが、風雨にさらされた木目が浮き立って古色蒼然。拝殿で柏手を打って敬意を表し、境内の右側を流れる沢に沿った登山道へ入る。すぐに沢の中央に神域の水源となるコンクリート製の貯水槽が見え、そこからお沢掛けコースとお峰掛けコースに分かれる。ここはお峰掛けコースを右に見て、沢通しに直進するお沢掛けコースを選ぶ。

道は沢を右に見ながら、広闊な谷を縫って登ってゆく。ひろびろとした牧草地のような斜面のあちこちに大きな花崗岩が顔をだし、さきほど説明したような特徴を持つ樹木が点在する。なかでもこの島の木の特徴をすべて備えたような奇っ怪な樹姿のケヤキは圧巻だった(12:12)。これは写真を見てもらうほうがいいだろう。

沢の水流が細くなり、やがて湿地へ消えるあたりに小さな社があり水神社とある(12:28)。その脇に2体の神像が、参拝客を迎えるようにこちらを向いている。金華山という高名な観光地にしては意外なことに登山道はほとんど荒れておらず、さほど登山客はいないらしい。今日もここまで白衣の男女数名とすれ違っただけだった。水神社からわずかに斜度がましてまもなく尾根の稜線へでる(12:33)。登山道をやや山頂側へそれて直登したので、正規のコースの標識が少し下の稜線上に見える。ここで尾根の向側に海が開けているのを目にする。おお海だ、と思ってふり返れば、いま登ってきた沢の後ろも海。数キロの海峡(金華山瀬戸)を挟んで、その先には牡鹿半島の突端部が隣の島のように横たわっている。そうそう、ここは島である。そこから上へ登ればどこを見渡しても海がある。

稜線を少し登ると斜度が緩みブナが多くなってきたと思うと、ブナ平という標識がある。そしてまた斜度が増してまもなく山頂へ到着する(12:41)。先行した善さんと田中君が後続を励ますように見下ろしている。山頂はさほど広くなく、社には大海祗(おおわたつみ)神社の額があり、そばに海抜444.9mの標識がある。そして山頂よりやや高い位置に長方形の石を数段組んだ枡状の構造物がある。神降ろしの火でも焚くのだろうか。そういえばこの夏の佐久の、布引観音の山頂にも似たようもの(あちらは多角形だったか)があった。いまたどってきたお沢掛けコースは、社の丁度裏手から登ってくるが、帰路に予定しているお峰掛けコースは、社の横からお沢掛けコースの左岸方向にある尾根を下ることになる。

山頂の反対側へ少し下りると休憩所の跡があって、中央にコンクリート製のテーブルと椅子があり、その外周の腰板に沿ってもう一列椅子がある。もともとは屋根があったのだろう、柱の痕跡が残っている。山頂は少し風が冷たかったが、こちらは風下で、格好の宴会場である。つまみは、定番のチーズにクラッカー。それにアイガモの胡椒まぶしやブロックのハム、シャケのトバなど平均年齢にしてはあきらかに動物性タンパク質過剰である。それに仙台駅で仕入れたムスビがある。ビール数本、ワイン3本でビールは残ったが、ワインはこの人数では少し足りない。まあ、そのくらいにしておけということか。あまり加工した肉類は美味いと思ったことはないが、今回のつまみはどれもよい。流石に仙台、食品のレベルが高いと包装を見ると、埼玉製あり北海道製ありで近辺のものはない。それでは、これだけのものを集めるだけの味覚が仙台にはあるのだなど、適当なことをいってわいわいさわぐ。

ひとしきり飲み食いをして山頂へ戻ると、3人の信者らしきひとたちが社に手を合わせてお祈りをしていた。酔っぱらいは早々に退散である。お峰掛けコースから下山開始(13:50)。帰りの船は3時だからあまりのんびりできない。ちょっと下ると一挙に展望が開け、これはいままで経験したことのない景観だなあ、の感を強くする。善さんも、これは凄いねえと叫ぶ。踏み跡を刻む幅の広いなだらかな尾根は、そのまま海に落ち込むかのように下降してゆく。尾根の表面は花崗岩の白と、それを覆う芝生の緑で覆いつくされている。これは、芝の種でも蒔いたのだろうか。芝生を敷き詰めた登山道など聞いたこともないが、どうもそうとしかおもえない。シカのおかげで下生えはないし、高い木もほとんどない。前方も左右も広く開けて、その先はるか眼下に海を望む。まるで巨人になって尾根を踏んでずかずか海へ入ってゆくようだ。

途中にメタリックな赤い甲をもつフンコロガシ(正確にはセンチコガネというらしい。体長1cmくらいのコガネムシだ。これはカメちゃんが正しく、OJはタマムシと思い違いしていた)が多数群れている。この虫は、これまでの参道のいたるところにいたが、これほど蝟集していることはなかった。何のフンかは知らないが、シカのフンではこれほどの数にならないだろう。それに、矮小化したセンブリがかわいい。あまりに小さいのでヒメセンブリかと思ったが、あとで調べるとヒメは南アの高山帯にしか分布しない。この写真はチャウに撮ってもらったので掲載されるだろう。

さて、素晴らしい景観もきれいな花もここまで。岩が少なくなり灌木が出だしてしばらく下ると、はたと踏み跡が消えた(14:01)。この登山道は尾根筋にそって設置されたシカ除けの柵(いまは、破損してその役をはたしていないが)に沿っていたのだが、そのうち柵は下山コースからそれる。そのまま追従すると、左側の別の尾根へもってゆかれる。合流したいお沢掛けコースは右手にある。はじめはとぎれとぎれに踏み跡が出てきたが、しまいには、手分けして探してもみつからなくなった。ここは腹を括るしかない。この尾根通しに忠実に下ることにする。お沢掛けコースもあまり歩かれていなかったが、こちらは日当たりもいいことだし、たちまち草に覆われてしまったのだろう。見通しはいいのだが、問題は茨のブッシュだった。シカが食い残した灌木はどれもトゲの多いノイバラやアリドオシなどだ。それが密集して行く手をふさぐ。うっかりあいだをごり押しすると、手は傷だらけ、足にはズボンを通してトゲが突き刺さる。

ただ不思議だったのは赤い実をたくさんつけたコバノガマズミが多く残っていたことだ。下のほうの葉はシカに喰われていたが、上部の葉と赤い実はちゃんと残っている。シカの歯の届く範囲を脱して、より早く高く成長するからだろうか。

やがて斜度が緩んでカヤの林に入ると、ちょっとした広場があって、そこにはカヤの実を採集するための大きなブルーのポリバケツが何個か配置されていた。カヤの実の自然落下を受けているのだ。シカに喰われないように、カヤの実は通っても、シカの頭は通らないようなメッシュが張ってある。シカの数が多く、自然植生のままではカヤの世代交代がうまくゆかず、人手をかけて増殖するのだろう。途中少し隊列が乱れたので、ここでみんなの集まるのを待つ。時間さえあれば、こういう快適な?道なき道は楽しいんだけどねと、善さんと話し合う。

隊列を立て直して、すでに緩やかになった林間の斜面を下ると、ほどなく林道へ出た(15:00)。苦闘?、1時間の薮こぎであった。しかし、もう予定していた3時の船には間に合わない。林道を右へ進むと神域へ出る。子安地藏の社だった。ここと、拝殿・本殿のあいだに、往きに登った沢が流れている。つまり、お沢掛け、お峰掛けの分岐はとうにすぎて、はるかに下でコースへ戻ったことになる。登りがけにカメちゃんがビールを補給した売店がすぐ先にあった。

埠頭へたどり着いたが、時刻表の読み方に迷って、4時の最終便はあるのかないのかと、また一騒動あった。結局、今日土曜は4時の便があることがわかり一安心。近くの売店でまたビールを買って、埠頭の真ん中に円陣を組み、約1時間を今日の山の話題ですごす。帰りも今朝と同じレスポワール号だ。その船中、携帯でJRの時刻を検索すると、どうやらまた女川で1時間ほど待つことになると判明。

女川観光埠頭着(16:32)。駅まで歩いて、次は女川17:38分--仙台19:41分までないことを確認する。これでは帰ってからの宴会がせわしない。途中の石巻で一杯と思っても石巻線の列車もない。そこで、女川で宴会をやってしまって、その次ぎの女川18:52分--仙台20:49分で帰ることにする。もちろんカメ邸でも軽く反省することはかかせない。あくまでも梓の行動は宴会が中心にあって、その前後の段取りが決まってゆく。

これも船中、携帯で調べておいた2軒の飲み屋、おじかと古母里を探す。おじかは駅に近くすぐに見つかったが営業は5時半から。次の古母里は、埠頭に隣接するマリンパル女川(魚市場を中心とした観光施設)の二階にあった。客はだれもいなかったが、営業しているというのでひと安心。なにしろ、土曜というのにこの時間にほとんど町に人影がないのだ。店の善し悪しなどより、開いているかいないかが問題である。

埠頭の前の魚市場の店だから、魚の鮮度に問題はなかろうとおもうが、おうおうにして観光地ではあてが外れる。ざっとメニューを見て、目新しいものはミンククジラの刺身やステーキ程度で、あとはどこにでもある魚である。しかし、ここはまあまあ合格。クジラのステーキ定食が3000円はいただけないが、刺身はなかなかだった。サンマの塩焼きも大振りで油がのって美味かった。6時半を目安の宴会はあっというまに過ぎてしまった。

女川の駅にたどり着いて列車に乗れば、あとは酔いに任せて白河夜汽車である。ほろ酔いのまま石巻で乗り換え、仙台は乗り過ごして終点あおば通まで乗り、バスで交通局大学病院前まで。バス停近所のスーパーで仕入れをして、カメ邸で宴会を再開したのはいうまでもない。最後は、後藤さんのペペロンチーノで締めたのであった。

2004年10月17日 日曜日

快晴。指先労働者の指も疲れたので、面白山の記録はメモ程度にしておく。

昨日がこの天気ならと思うが、贅沢はいうまい。面白山が目標だが、今日は、みな戦闘意欲はない。仙台から仙山線で約1時間、運転席の後ろのガラス戸に陣取り、割り込んでくる子供にひじ鉄をくらわせながら、はじめての昼間の仙山線沿線の景色を楽しむ。

面白山高原駅から歩き出し、天童高原までの急登を1時間ほど登る。美しい紅葉とはいかないまでも、清々しい林間の登りを楽しむ。ちょっと、残念なのは車道が併走していることで、それがときどき間近に迫ってくる。交通量はさほどなく騒音は気にならない。天童高原まで1時間ほど登れば、宴会への心理的肉体的準備はほぼ完了する。天童高原はスキー場でもあり、車でこられる場所で、広々とした林間のキャンプ場がある。が、そこで宴会はいくらなんでもということで、あとはトラバースぎみに登る広い山道を詰めて面白山登山口まで歩く。途中、キノコ狩りのツアーとおぼしき大団体とすれ違うが、あの人数で山へ入ったのでは、キノコだけではない自然環境はひとたまりもなかろう。安易な金儲けはいい加減にしてほしい。登山口の脇に長命水という清水があって喉を潤す。もう登りはたくさんなので、その先のちょっとした日当たりのいい道端で、本日の宴会となった。結構、登山者の通りは多かったが、向こうの曲がり角に“この先、宴会中”と看板でも立てておくかと、たわいのないことをほざきながら道端宴会を楽しんだ。

昨日の轍を踏まぬため同じ道を戻る。もっとも、先行した後藤さんたちは、途中から車道へ下りたそうだが、そのほうが早かったという。また今日も時間の具合が悪く、面白山高原駅の直前で列車の音が聞こえたが、間に合う距離ではなかった。1時間ほど時間をつぶして残りのビールを空け、次の列車で仙台に戻る。

居残る冨山さん、後藤さん、カメちゃん、お世話になりました、それではさようなら…、とならないのが梓である。急激な変化は、精神状態に悪いとの金谷氏のご託宣で、仙台の街を〆の宴会場を探して、ふらつくことになった。しかし、今日は日曜日でカメちゃんの心づもりの店は休み、めぼしい店も軒並み休んでいる。今までの経験で、こういうときは、悪あがきすればするほど結果は悪くなる。適当な居酒屋で済まそうと、チェーン展開しているような地下の大きな飲み屋へ入った。初っ端、大人数のせいか大分待たされて気分が傾きかけたところへ、案内にたった若い男の店員の応対がマニュアル的だと御大が怒り、全員とげとげした気分で奥の座敷に陣取った。ビールも済んで酒をたのむ段になると、こんどは、その酒(一ノ藏)のお燗はできないときた。ここで普段なら、ぷっつんとなるところだったが、先ほどの男に代わって出てきた若い女性の対応が実に自然で初々しい。燗を断っているのは、彼女ではなく、多分、憎たらしげな板長なのだ。それで、またジジイどもは緩んでしまって、じゃあ冷やでよしとしよう、となった。この店、存外、料理はよく、そのせいもあって、以後和やかな別れの宴がつづいたのであった。翌日の掲示で、カメちゃんが梓の健啖ぶりに驚いたとあったが、それは違う。金谷氏の食の猪突猛進ぶりに、といってもらいたい。昨日、ぺろりとたいらげた大振りのサンマにも飽きず、今夜もまた、負けぬほどの大サンマをひとりで片づけていたのだから。

なんだか山行記録だか、宴会記録だかわからなくなってしまったので、このへんにしよう。最後に一言、仙台の食のレベルは高い。カメちゃん、ありがとう。


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