道草Web

遠刈田温泉と両蔵王

2005年1月21日 金曜日

晴れ。

先の日曜日に善さんが荷物を預けにきたとき、デリカの右のテールランプのレンズが壊れていることに気付いた。どうやら運転の下手な車が、うちの前の私道でUターンをしたときにぶつけたらしい。当て逃げである。病院の塀も擦れていたのでよほどの初心者だろうか。腹はたつが相手はわからない。三菱に手配してレンズを交換した。1万2千円ほどかかった。車両保険は使えるが、来年以降の割引率が下がり、この程度の金額ではかえって損になる。チャウも持病の腰痛が悪化し、スキーができるかどうかは定かでない。どうも今年の初スキーはさい先がよくない。

●金谷氏、JR迷走事件

6時半に東川口集合。参加は、鈴木、金谷、大森、中村、橋元。そして現地仙台の亀村である。デリカはやや早めの6時過ぎに着いた。停めた場所が、大森氏指定の北口ロータリーの南浦和寄り外側だったので見つけにくかっただろうが、チャウ、善さん、大森氏とほぼ予定通り到着。さて、金谷氏はとしばし待つうちに携帯に着信があった。いま南浦和だという。集合場所は、そこから二駅の東川口と告げる。ここまでは大方の予想範囲であった。しかし、20分ほどたっても到着しない。そこでまた携帯。今度の返事は、いま西川口だという。なるほど、南浦和からは二駅ではあるが路線が違う。あとの話では、ぼくの“くぐもった声”が“…川口”と聞こえたので、駅の路線図をみて二駅目の西川口へ向かったとのこと。流石の金谷氏も、これ以上出発を遅らせてはすまぬから諦めるという。しかし、せっかくここまできて、それはなかろうと待つことにする。“ゴドーを待つ”より“金谷を待つ”のほうが多少確実性は高い。トータル1時間の遅れで金谷氏も合流。7時半過ぎに東川口を出発した。金谷氏は6時頃には東浦和に着いていたが、他のメンバーがいつまでも現れないので、もしやと南浦和に向かったという。浦和と川口のつく駅名は、真性の2つ以外に、東西南北などの冠を着けた駅が多数あり、紛らわしいことは事実である。とにかく、金谷氏JR迷走事件、一件落着。

●烈風吹きすさぶ東北道

行きの前半はぼくが、後半は善さんがデリカを運転したが、ものすごい強風で、大きな手で車体をむんずとつかまれて揺すられるようだった。斜めにハンドルを切ったままにしないと直進しないとか、左にあおられて車線をはみ出しそうになるかと思えば、右に吹き戻されてガードレールに接近するといった状況。あまりの横揺れに後部座席で眠っていた面々が驚いて目を覚ますほどだった。頻繁に両腕を緊張させねばならず肩が凝ってしまった。 

それでも11時には仙台宮城ICを出て11時半にはカメ邸到着。善さんの道路の記憶は正確で、多少の誤差はあったがほとんど迷うことはなかった。カメちゃんへは途中で何度か連絡をいれたが返事はない。仕事がてらの宴会を早めに切り上げて9時半には帰宅していると金谷氏に連絡が入っているので在宅は間違いないが、日頃の飲酒傾向からしていまごろは白河夜船に相違ない。5階の部屋へ直接ゆくと、ドアに施錠はなく、居間のソファーで熟眠中であった。 

●朝までダベリ

鳩ヶ谷産?のメジ、イナダ、シメサバ、ホタテなどの刺身をメインに恒例の到着宴会。メジはいまいちだったがイナダが意外にいけた。2時頃までは全員参加していたろうか。そのうち一人消え、二人消えとなって、最後に、金谷、橋元が残ってしまった。なぜかあまり眠くもならす、ひどく酔いもせずで、金谷氏との打々発止が延々とつづき、気付いたら6時近くになっていた。「朝までテレビ」ならぬ「朝までダベリ」である。何を話したのかは覚えていないが、さしたる中身がないのはいつものこと。しかし、時間だけは確実に過ぎていた。 

2005年1月22日 土曜日

快晴、強風。 

いつ寝たのだかわからないままに、朝の卵料理担当としてたたき起こされた。金谷氏に比せばアルコール耐性が格段に劣るので、二日酔いならぬ酔いっぱなしである。朝はパン食なので、もうろうとしてオムレツを作る。今日は大森氏の提案で宮城蔵王の烏帽子スキー場と決まった。彼なりに、その結論へ至る綿密な論理構成はあるが、ここではおく。 

●おっと目的地はどこだ? 宮城蔵王へは仙台宮城ICから東京方面へ少し戻り、村田ICを出て一般道を西行する。ぼくは運転どころでなく、善さんがハンドルをにぎる。ところが善さんが勘違いして、村田ICの手前の村田JTから山形道へ入ってしまった。まあ、それならそれで山形蔵王にするかと、そのまま進んだが、宮城川崎ICで道路閉鎖。まさに閉鎖を開始したところで、その先で直前に事故があったらしい。ここで下りて一般道を行くなら宮城蔵王へ引っ返したほうが早いだろうと、宮城川崎の料金所の直前で、路肩の開いたところがあったので、そこで強引にUターン。普段なら何かいわれるのだろうが、状況が状況だけに何の反応もなく反対車線へ戻った。善さんも料金所の目の前でUターンするのははじめてだという。でもこれは少々早計だったようだ。村田ICを出て一般道をゆくうちに、右手から川崎からの道路が合流するので、宮城川崎で一般道へ出て、そこから直接烏帽子へ向ったほうが正解だったかもしれない。直線ですむところをコの字形に迂回したことになる。 

●烏帽子スキー場は地吹雪のなか 途中の遠刈田温泉で降りるはずの金谷氏だったが、遠刈田の町がどこかはっきりしないままに烏帽子スキー場まで同行。途中で行き過ぎたのはわかったが、どうせスキー場から遠刈田まではバスがあるだろうとの読みである。11時半過ぎにスキー場に到着し、駐車料500円を払ってデリカをとめた。天気は快晴だが地吹雪状態ですぐに滑る気になれない。遠刈田行きは12時40分までないという金谷氏もいっしょに、スキーセンターの二階の食堂で軽い食事をしながら、天気の様子見となった。やがてバスの時間にあわせて金谷氏は去ったが、天気はいっこうに好転しない。そのうちに、リフトが強風で次々と止まってすっかりわれらが闘争心は失われた。 

スキーはすっぱり諦めて、われらも遠刈田温泉で一風呂と決まる。遠刈田は小さな町だから車だとすぐに通過してしまうが、来がけに見当がついているので今度は迷わない。スキー場から戻って最初の町らしい町並みが遠刈田である。遠刈田の中心を通る古くからの街道は町中で直角に曲がっている。観光シーズンには渋滞が必至なので、通過車は町の中心を外れて通るように標識が誘導しているらしかった。 

●なかなか“えがった”遠刈田温泉 温泉を探すまでもなく、町の中心に遠刈田(とおがった)温泉センター浴場があり、そのまえが観光客用の無料駐車場になっている。そこへ車を停めて遠刈田温泉初見参。以前、月山からの帰りに蔵王エコーラインを越えて帰ったことがあり、そのときに関根さんやチャウと通過しているが立ち寄ったのははじめてである。ほとんど素っ気ない風情の共同浴場で、シーズンオフだからさほど混んでいない。脱衣場は狭く休憩室もないが浴槽や流し場は広く湯量もたっぷりだ。浴室に入るとすぐに金谷氏の姿を見つけた。もう30分ほども浸かっているという。偶然の遭遇というより、この町をぶらりと訪ねてまず目につくのがこの温泉ということだろう。浴槽も熱いのとぬるいのがあって、ぼくは熱いのは苦手なので、ぬるいほうに入ったが、ほどほどの温度でぼくとしては長時間ゆっくりとひたってあがった(それでも早いと大森氏にはいわれたが)。 

無事全員そろって、帰路は往路を村田ICまで戻って、仙台南ICから仙台南道路へ入り、ヨークベニマル遠見塚店で今日の夕飯と明日の朝食の材料を仕入れる。刺身はまだ十分残っているので不要。今日のメインはキムチ風味のブタ鍋で、うどんで〆ることとなる。それに、アスパラとエリンギの焼物などを買った。温泉を楽しんだだけだったから宴会の開始は4時過ぎと早かった。明日は山形蔵王だから早起することもあって仕上がりは早く、10時前にはほぼ全員就寝したのではなかろうか。 

2005年1月23日 日曜日

晴天、静穏だがやや雲多い。 

●事件の伏線 全員、睡眠たっぷりで起床。朝食担当としては、夕べの残りの野菜類を中心に片づける。これでカメ邸の食事は最後だから、なるべく多くの素材を使い切る必要がある。まず、アスパラ4束とエリンギは、普段網で焼くが、レンジをなるべくあけておきたいので、グリルで焼くことにした。グリルは日頃使ったことはないが、昨夜は金谷氏が、独自路線のブリカマをうまく焼いていたくらいだか、なんとかなるだろう。その間に、ウインナを刻んでもやし炒めを作り、最後はトマトオムレツと昨日の残りの刺身のヅケを炒めてこれもオムレツにする。それと、カメちゃんの野菜のたっぷり入ったベーコンスープだ。とくにアスパラが美味かった。 

●お釣り不足問題 今日は、いまやジモティのカメちゃんの運転で山形蔵王を目指す。金谷氏はカメ車(といっても自転車)で仙台疾駆。快晴無風で、仙台宮城、村田ICと経て山形蔵王ICで山形道を下りて、西蔵王高原ライン有料道路から蔵王へ。西蔵王高原ラインへ入る前に給油する。そのスタンドを出てすぐに、チャウが、お釣りが400円足りないといいだした。男どもは、とって返すのも面倒という雰囲気だったが、チャウは、こちらにレシートがありレジに記録があるはずだから立証可能。帰りに立ち寄ってくれれば返却させると息巻く。このあたり、男と女の対応がくっきり分かれるところである。 

蔵王はかって毎年のように来ていたので土地感はあるが、そのころはこの有料道路はなかった。この道路は、その名の通り、山形盆地をはるかに見下ろす蔵王西部の高原地帯を縫うように切り開いた道だ。山形蔵王ICから蔵王スキー場までの一般道を大幅にショートカットしている。料金300円の価値は十分ありそうだ。蔵王温泉の2キロほど手前で一般道へ合流する。 

●蔵王ゲレンデ案内

蔵王は、安比とならんで東北では最大規模のスキー場だが、輸送力の点では安比がはるかに上で、上信越のスキー場とも比べものにならない。ゴンドラやロープウエイは4線あるが、高速リフトは数えるほどしかない。しかし、近頃は客も少ないのでこの程度の輸送力でも十分なのだろう。 

蔵王ゲレンデマップ

http://www.zao-ski.or.jp/gerende/

●全員出動、デリカ、スタックす! われわれは、山形からのアクセスでいうと一番手前、このマップでいうと、一番左側の上の台(うわのだい)ゲレンデを目指した。デリカは快調に雪道を登っていったが、ゲレンデの手前の二股で乗用車がスリップして制御が効かなくなっていた。それを避けて、左の細いほうの道路へ入った。途中、駐車場を探しながら、最後の急登を登りきると蔵王スカイケーブルの上の台駅へ出た。この辺りの地形はよく覚えているので、ここはすでにゲレンデ内であることはわかっていた。そろそろ戻ろうかと言いだしかねているうちに、デリカはどんどんゲレンデへ侵入していった。 

だが突然、スリップがはじまった。あとから冷静に考えると当然なのだ。多分このあたりは数メートルの積雪があり、スキーヤーが滑るために圧雪してあるだけだ。車の重量がかかればひとたまりもない。運転していたカメちゃんも、あるところから急に雪面が柔らかくなるのが分かったという。ただ、前方に駐車場の標識(多分夏用)が見えたので、そこまで到達すればという気だった。ゲレンデのど真ん中、飲食店や土産物屋が櫛比する前でデリカはスタックしてしまった。ジモティからすれば、よい見せ物である。 

ドライバー以外は下車して重量を減らし四駆をローギアに切り換えて、カメちゃん、善さん、ぼくと、交互に脱出を計るがスリップは止まらない。はてはスキーも降ろして三人がかりで押してみたが、そのたびに車輪はどんどん雪面へ食い込んでいった。こういう場合の対処としては、スコップで雪面を掘って斜度を緩くしスリップ止めに毛布などを敷く、タイヤの空気圧を落としてグリップを増す、駆動輪にチェーンを巻く、救援車輌を依頼するなどがある。善さん、大森氏、カメちゃん、ぼくと、それぞれの運転キャリアに照らしていろいろな提案が飛びかった。 

ぼくはまずチェーンを着けてバックでもとの道路へ戻ろうと思った。前進すればここにも増して雪面は柔らかくなる。しかし、雪に深くのめり込んだタイヤには容易にチェーンを巻くことができない。大分以前、善さんがデリカに残しておいてくれたハンドスコップで雪をかいてみたが、周囲の雪を掘れば掘るほどタイヤも沈むようにみえて諦めた。しかし、落ち着いて堀りかたを工夫すればなんとかなったのかもしれない。つぎにタイヤの圧を減らしてみることを思いついて空気を抜いたが、これもダメ。実地の体験がなく、頭だけの知識なので、抜き方が不十分だったのかもしれない。脱出後のことを考えるとグニャグニャのタイヤではと思ってしまったのだ。だが、さらに冷静に考えると、コンプレッサを常備してあるので、いくら抜いてもあとから空気を入れなおせばよいことなのだ。さらに、チェーンをトレールに敷いてみたがタイヤには食い込まない。 

その間、大森氏は、ゲレンデに入る前に見た除雪車に救援を依頼しにいった。その運転手は、(路上はともかく)ゲレンデは怖くて入れない、山形交通の雪上車で引いてもらうしかなかろうと応えたという。一方、善さんはジャッキアップを主張。しかし、それはぼくが最初に断ってしまった。ジャッキを雪面に置いてもジャッキが潜り込むだけだろうと判断したのだ。しかし、善さんはデリカに載せてあったプラスチックの道具箱のフタをジャッキの下に敷いて底面積を大きくして重量を分散することを考えていた。タイヤの減圧がダメだと分かった時点で、ぼくはやっと善さんの提案の意味が理解できた。その頃は、もう喉がからから。チャウに頼んでお茶を買ってきてもらった。この間、冷静にも彼女は、さまざまな脱出工作を撮影していたらしい。 

道具箱は3つあったので、その3つのフタを重ねてジャッキの下に敷き、まず、右の後輪から持ち上げようと思った。しかし、雪面と車軸が近すぎてジャッキが入らない。車軸の真下にジャッキを置くのが力学的には正解だが、車軸からずらせて板バネの下にならなんとかジャッキは入る。それでやってみると、なんとかデリカの車体が浮き出した。しかし、板バネとジャッキとフタが一直線になっていなかったので、スリップしてジャッキは倒れてデリカの車体はまた沈んでしまった。角度を考えて慎重にやりなおす。ジャッキを加圧するほどに、道具箱のフタは凹んでいまにも破断しそうであったが、なんとか雪面とタイヤに隙間ができるまで上げることができた。すかさず善さんとカメちゃんかタイヤにチェーンを巻く。つぎに左の車輪も同様にジャッキアップしてチェーンを着けることができた。その間に、大森氏はどこかで借りてきた大きなスコップでタイヤのトレールをならして斜度をゆるやかにしていた。 

この間、地元の飲食店や土産物屋のひとびとが、いかに冷ややかな眼差しでわれわれの右往左往を見ていたかは想像にかたくない。四駆とはいえ通常の車輌がゲレンデの深雪に入り込むなど無知の極みである。自業自得でざまあみろという気分だろう。それも道理である。われらに反論の余地はない。 

これで脱出できるか緊張の一瞬である。四駆のローでギヤをバックにいれ静かにクラッチを戻す。ぐっぐっと抵抗があって、ゆるやかにデリカは動き出した。ゲレンデのなかだから周囲にはスキーヤーが往来している。大森氏が先導してくれて、なんとか元の道路の近くまで戻り、みんなが来るのを待つ。そのころ、ほかのメンバーは、チャウがお茶を買った食堂のおじさんに“ここはゲレンデだから元に戻して”といわれて、デリカが深くえぐったトレールをならしていたのだった。 

それからもいささかの行きつ戻りつがあったが、なんとか駐車場を見つけデリカを停める。駐車料1000円。駐車場の主人とおぼしき男に顛末を話すと四駆でスタックしたとは下手な運転だとバカにされたが、ゲレンデへ入り込んだと知ってあきれながらも納得していた。道路とゲレンデの境界に標識がなく現場に慣れていなければその区別は定かでない。このあと蔵王スキー場全体で感じたのだが諸般の案内がじつに不親切だ。地元のスキーヤーが多く、“そんなこと当然”なのだろうが…………。 

●本年初滑りで地藏山頂へ

やっと滑ることができたが、すでに気力、体力を使い果たした気分だった。そのせいか、晴天というのに軽い雪酔い状態。雪面は最高だったが、終日、気分はいまいちだった。まあ、前々日の寝不足、飲みすぎがたたったのであろう。 

駐車場に一番近い蔵王スカイケーブルに乗ってゲレンデ上部を目指す。ダイヤモンドバレー、中央ゲレンデ、パラダイスゲレンデとなめて、樹氷原コースへでる。両側に大シラビソのモンスターが立ち並ぶ樹氷原を滑り下りたところで11時40分ころだった。山頂ロープウエイの混雑状況をみるとなんとか乗れそうである。昔は2、3時間待ちが当たり前で、整理券をもらってから周囲のゲレンデを滑りながら時間をつぶしたものだ。今日はせいぜい20分待ちで乗れる様子だ。昔のロープウエイは2台でピストンだったが、現在は18人乗りのゴンドラが周回している。さばける人数が違うし、スキーヤーも激減しているせいもあるだろう。 

蔵王山頂駅は地藏岳山頂直下の鞍部にあり、駅から30mほどのところに蔵王地藏が安置してある。以前はこの時期、雪に埋もれて見えなかったが、最近は小雪でお地蔵さんも頭を出していることが多くなった。一度だけ本当の山頂まで登ったことがあるが、今日は時間もないし、もとよりその気もない。例によってさっさと下降コースのほうへいってしまった善さんを呼び戻し、今年初めての山頂の儀をとりおこなう。気温は低いが快晴無風。ヘネシーの一杯は寒いほど美味である。それにこれだけの好条件で、地藏山頂に立てるのはめったにない。 

山頂から樹氷原コースへ出るまでをザンゲ坂と呼ぶが、以前に比べて格段に整備されて拡張されている。中学の頃から蔵王へ来ていたというチャウは、ウェーデルンのうまいひとがやっと滑り降りられるほどの幅しかなかったという。ぼくが知る限りでも、だれかが立ち止まると追い抜けないほど狭く曲がりくねったコースだった。来たことを後悔したはてにザンゲするので、このコースの名前がついたと聞いたことがあるが、本当は地藏岳に因んだ宗教的な意味合いがあるのだろう。 

●懐かしの三五郎ヒュッテ

ザンゲ坂は多少混んではいたが、幅は十分あるので気持ちよく滑ってパラダイスから上がってくるリフトの終点へ出る。チャウの腰痛も滑りには支障がないらしく、まずまずの模様。ここで樹氷原コースにするか中央ゲレンデか少し迷ったが、もう12時はとうに過ぎていたので、昼飯が先決である。樹氷原コースを右へそれてパラダイスへ戻り、片貝リフトで中央ゲレンデへ上がって一滑りして三五郎ヒュッテで昼食とする。ここはチャウもよく知っていたし、ぼくも一番よく昼食に利用した小屋だ。実際に鳴っていたのかどうか記憶にないが、大型のJBLだかALTECだかのスピーカーがでんと据えられて、蔵王の一般的な山小屋からは一皮剥けた雰囲気だった。ゲレンデ全体に人影がまばらなほどだから、かつての小屋の雑踏は嘘のようで、広い食堂には数えるほどしか客がいない。そのせいだか、小屋の内装は以前のままだが、メニューのバラエティにとぼしく昔日の面影はない。日曜の昼食時がこの閑散では無理からぬことか。それぞれ、カレー、カツカレー、牛丼などを頼んだが、その牛丼すら売り切れであった。ただ、他の客の注文で、テーブル上のメニューに見えなかったうどんがあることを知って、大森氏や牛丼を諦めてカレーにしたチャウの悔しがること。 

食後は、山頂にガスがかかりだしたのでゲレンデ上部は諦めて、高鳥コースを上の台へ下る。また同じスカイケーブルでは面白くないので、リフトを乗り継いで中央ロープウエイへ出て中央ゲレンデへ。ますますガスは下がってきていたので、また高鳥から大平コースをかすめて上の台へ戻り、そこでリハビリ中のチャウと軽い雪酔いのぼくはあがる。駐車場へ歩く途中で、リフトのICカードの保証金を払い戻していなかったことにチャウが気づき、彼女のカードも預かってロープウエイの駅まで換金に引き返した。その間に善さんもすぐあがって駐車場へ戻ったが、同じく払い戻しを忘れて引き返しという。さらに一滑りした大森氏、カメちゃんも同様でみんな払い戻しに引き返したことになる。 

全員が揃うあいだに、コンプレッサでタイヤに空気を入れる。シガレットライターを電源にする小型の機械だから加圧に時間がかかるが、4輪すべての空気圧を2キロ、現在の単位系では1960ヘクトパスカルへ戻した。駐車場から出たところで金谷氏から電話。現在、前回の仙台で見つけたお気に入りのイタリア料理店の近くにいるので、なるべく早くこいとのこと。実は金谷氏が、遅刻のつぐないにわれらにその店の料理を馳走するとのことだ。この店はカメちゃんも金谷氏と訪れたことがあり、場所は先刻承知。きたときと同じく西蔵王高原コースを戻ったが、流石のチャウも時間が押しているので、ガソリンスタンドの返金は諦めた。 

●事件発覚、無人の台所に不気味な熱気

カメ邸へ戻って着替えを済ませる。その最中、カメちゃんがとんきょうな声を上げた。ガスグリルのガスが点けっぱなしだったというのだ。なるほど台所に入るとむっとした熱気が立ち込めている。今朝、エリンギとアスパラの焼き物で、何度かトレーを引き出して加減をみた。最後にこれでよしとなったとき、消火しないままグリルのフタを閉めたのだ。グリルは使いなれていなかったとか、炎が外から見えなかったという言い訳はあるが、責任はぼくにある。大事に至らなかったのは運がよかったというしかない。カメちゃんに陳謝。 

●金谷さんご推奨、仙台イタリア料理

カメ邸を後にして、金谷氏の待つイタリア料理店へ向かう。この近所かと思えば、仙台駅から相当南に下った五橋(いつつばし)だった。店の前で手を振る金谷氏を見つけて合図したがすぐには右折できず、そのままだいぶ持って行かれてやっとUターンした。金谷氏から駐車場の20分券3枚を受け取り近くの駐車場に車をとめる。あとで聞くと、それらしき車にやみくもに手を振っていたそうで、われわらは気付いたが彼は知らなかったという。料理店の席についたのは6時20分ころだったろうか。待ちかねてすでに一本を空けていた金谷氏と合流して、めでたく晩餐となる。どうもウエイターとのやり取りを聞くと、金谷氏は昼もここでとったらしい。独特の雰囲気のある店で、ウエイターのサーブもなかなか。さり気なくアンティークや古書が飾ってあり、壁にはクリムトの「ダナエ」や、あまり見たことのないコラージュ(素材はクリムトだが実際にこんな作品があるのか知らない)が掛かっている。イタリアというより19世紀末ウイーンの雰囲気だ(すこしほめすぎか)。アンティパスタ、サラダ、グラタン、ピザ、パスタなどの食事にワインが数本開けられ、最後にドルチェとエスプレッソのコースを賞味する。ご馳走になったうえの放言と誹られるのは覚悟だが、金谷氏のお気に入りとはいうものの、ぼくにはさしたる料理と思えなかった。両国のアルグレッツアも氏のお気に入りだが、あれとこれとを同列にしては、両国が可哀想である。 

われらと同行すべきか、あるいはカメ邸にさらに1泊すべきか“選択の迷いを楽しむ”金谷氏だったが、われわれのタイムリミットは7時半。その時点で金谷氏はさらに、9時頃の最終新幹線で帰るべきか、さらなる迷いを楽しむためにカメちゃんと店に残るという。少し時間をオーバーしてわれわれは8時前に店を出る。駐車券の1時間はとうに過ぎている。ひとりできても1時間の駐車券は必要だろう。これだけの人数で食事をして並はずれた量のワインを飲んで、さらに2人も居残って飲み食いするというのに、追加の駐車券を出すそぶりもなかった。大した金額ではないが、どういう計算で駐車券を用意しているのか分かりかねる。 

帰りは善さんの運転。途中で交代するつもりで少しワインは控えたが善さんはひとりで快調に東北道を飛ばした。浦和のインターを出るころには雪混じりの雨になった。チャウを新井宿で降ろし、11時過ぎにラクダ坂へ帰着した。風はほとんどなかったので往路に比べると楽だったとはいえ、善さん、お疲れ様でした。 

●やれやれ終わりました

大森氏の娘さんがラクダ坂まで迎えにくる手はずになっているのだが、まだテラノは到着していなかった。お茶でも一杯と拙宅へあがってもらったが、考えればもうドライバーはいないのだから、お茶は転じてビールとなる。出がけに作っておいた穴子の煮付を温めているうちにテラノが到着。せっかく温めたのだからと、少しテラノに待ってもらって、穴子を平らげ、無事散会となった。 

相変わらずハプニングの多い梓スキー行も、このような顛末で幕を閉じた。翌日の掲示情報によれば、金谷氏は重ねて選択の迷いを楽しんだすえ、“スパッと”新幹線で帰宅したとのこと。金谷さん、ご馳走になったうえの暴言、お許されませ。カメちゃん、たびたびの宿舎提供、深謝。次回もよろしく。

現在の閲覧者数:
inserted by FC2 system