道草Web

姫神山と登米

梓編年

2006年6月9日 金曜日

雨。梅雨入り。 梓山行。姫神山。参加は、冨山、後藤、金谷、大森、中村、橋元

7時過ぎに東浦和を出発し仙台カメ邸へ。今回、善さんがいないので往復ともドライバはぼくだけ。外野席がうるさいので速度を落として走ったが、東北道は順調で11時前にカメ邸着。恒例によって、プチ宴会。

2006年6月10日 土曜日

高曇り。 半分諦めていた姫神山だが雨の気配はなく決行となる。それでも、ゆっくり朝食を摂る。出発(9:35?)。

東北道を北上。車窓から見ると、ちょうど開花期のニセアカシアの多いことに驚く。この木は中国からの外来種だから自然状態では生えないはず。街路樹や庭木が拡がったものだろう。このおびただしい数を見ると、あまりに繁殖力が強いので日本本来の植生に脅威を与えているというのもうなずける。そのほかにはタニウツギ、もう盛りの過ぎたキリの花が目につく。

いつもなら紫波SA辺りから岩手山が見えるとカメちゃんはいうが、山容のおおかたは雲に覆われて、いく筋かの雪渓の残る裾野がわずかに見えるだけだった。

盛岡の次の滝沢ICで降り、国道4号を北上。ご存じ石川啄木で有名な渋民村のスーパーで行動食とビールを仕入れる(11:47)。ワインは八甲田の残りの赤が2本ある。

国道4号を姫神方面へ右折する。しばらくゆくと農家の庭先をかすめるような小径となる。そのころから行く手正面に姫神山を見る。きれいな三角形の山容で、左手の稜線がなだらかに長く伸び、右手の稜線はそれより短くやや右肩上がりといった印象をうける。標高が1100メートル程度だから山全体が木々の緑で覆われている。

一本杉林道の登山口到着(12:09)。登山口の脇に水量の豊かな沢が流れ込んでいて、樋が渡してあったので水を補給する。この水は結局飲まずに、そのまま持ち帰ったが、家でコーヒーを入れると旨かった。コーヒーの味そのものが変わるわけではないが、喉ごしが滑らかになって後味もよい。水道水にはよほど余計なものが入っているのか。登山開始(12:16) 。

明るい北国の林のなかを広い登山道がゆるやかに登っている。静かな森といいたいところだがセミとカエルの鳴き声が耳を聾するくらいにぎやかだ。ウグイス、ホトトギス、ツツドリ、オオルリなど小鳥も鳴いているが数では負けている。林床には、エンレイソウ(実)、マイヅルソウ(一部花、ほとんど蕾)、ホウチャクソウ(花)、フタリシズカ(蕾)、アオマムシグサなどを見る。

すぐに比較的若い杉の林に行き着く。全国から遺伝形質の優良な苗を集めた精英樹林だと看板にある。“精鋭”なら知っているが“精英”はあまり使わない熟語だ。あとで調べると林業では普通に使うらしい。 精英樹林は比較的若い林だったが、しばらく登るとひときわ立派なスギが一本ある。大木の少ない落葉樹林のなかで、樹高と胸高周囲が他を圧している。われこそ精英という風姿で、すっきりと立ちあがってよどみがない。その太さからいって相当な樹齢なのだろうが樹勢に衰えが見えないのだ。これが、一本杉林道の由来であることは、だれにもわかる。

頂上まで1.5キロの標識にザンゲ坂とあり、階段の急登がはじまる。蔵王にもザンゲ坂があるが、急登の喘ぎからザンゲの苦しさを連想したのだろうか。もっとも蔵王のほうは、スキーの難コースだからあちらは下りの苦難か(難コース“だった”というのが正確か、いまは滑りやすく整備されている)。

ザンゲ坂をしのぐと5合目でちょっとした踊り場へ出る(12:40)。ここで、車中から見上げていた姫神山の左手に伸びるなだらかな尾根へ出たものらしい。高曇りだが日差しはあって、爽やかな風が通ってゆく。快適な登高だ。

6合目(12:54)、7合目(12:59)、8合目(13:03)、森林帯を出て展望を得る(13:20)、土場コース、岩場コース分岐(13:22)から土場コース。土場コースの途中 左側に若宮神社、右側に薬師神社を見る。若宮は、姫神神社の祭神の子を祀っているという。最近知ったのだが、若宮とはおおむね主神の子を、その境内の一部に祀った社のことを指すらしい。

山頂到着(13:24)。標高1123.8メートルの一等三角点がある。土の部分は踏み荒らされて裸地となっているが、そこここに大きな岩が飛び出している。山頂の南東は岩混じりの草地だが、北西側には樹高1mもないミズナラやヤナギの仲間が低木帯をなしている。山頂を少し東に降りた草地に数本のアズマギクが咲いていた。展望は360度。いま登ってきた西側を見返すと、緑の濃い平野の向こうに、左からなだらかに立ちあがって右手に切れ落ちる岩手山が聳え、その北奥には、穏やかな山容の八幡平がまだらな残雪を載せている。東側には波打つような丘陵地帯が展開し、牧場が散在する。その先に小さな溜池のようなものがいくつか見えた。後で調べると岩洞湖という人造湖だった。湖水は複雑な形に分枝していて、それが手前の山に遮られて断片的に池に見えていたものらしい。北方遙かの稜線には、10数機の風力発電の風車が列を成している。遠くだからいいものの、景物としてはこの手の風車はあまり好きでない。南側には大都市盛岡の市街が拡がる。まずチャウ。次ぎに金谷氏、それから大森氏、冨山さん、最後にカメちゃん、後藤さんと40分ほどかけて全員揃ったところで、やや遅いお昼のプチ宴会となった(14:04〜15:10?)。

下山は二手に分かれる。金谷、亀村、橋元はもとの一本杉登山道をデリカへ戻る。残りは最短の田代コースを下る。そして、デリカで田代組みを迎えに行く算段だ。カメちゃんは、登りは岩場コースだったので土場コースを、金谷、橋元は逆に岩場コースを下ることにした。頂上直下右手の岩に城内コースの赤ペンキが見えたが、そのまま一本杉コースの標識を探して岩と泥場の混じった斜面を下る。裸地のあちこちに岩が飛び出していて、ところどころにアズマギクの群落が散在する。どこでも歩けるような具合なのだが、どこを踏んでも土が軟らかい。要するに踏みしめられていない、コースではない、ということなのだ。いずれ踏み跡かコースの標識があるだろうと下り続けたが、ついに樹林帯に行く手をはばまれてしまった。金谷氏には悪いことをしたが戻るしかない。途中で、心配したカメちゃんから金谷氏の携帯に電話が入る。そのあと、すぐにカメちゃんと合流。事なきを得た。途中、休みなく歩いて、一本杉登山口帰着(16:05?)。沢の冷水で頭と顔を洗ってさっぱりして、別働隊を迎えに出発。一本杉口からすると田代口は、姫神山の反対側だから車でも時間はかかる。別働隊と合流(16:20?)

ぼくと後藤さんは遠慮したが、残りは石川啄木記念館見学(17時頃から30分ほど)。泉IC(19:07)で降りて、先々週オープンしたばかりというヨークベニマル市名坂で買い物(19:16〜20:00)。田圃の真ん中に突如出現した郊外型の大規模店で、去年はカエルが鳴いていたであろう所に、いまはおびただしい数の買い物客が蝟集している。時間が遅いので鮮魚店は店じまいをしているところだったが、ヒラメ二匹とホヤ2パックを買う。ヒラメは一匹900円弱、ホヤもたっぷりあるので、大森氏はご機嫌。ところが発泡酒はたくさんあったのに、なぜかビールがない。しかたなくカメ邸の近くのモリヤで買いたす。カメ邸帰宅(20:33)。遅くはなったが、明日は、山ではなくて平地の観光と決まって、くつろいだ宴会がはじまる。

2006年6月11日 日曜日

雨。 今日は、登米(とよま)の観光ツアーだ。かつて北上川を利用した物資の集散地として栄えた町だという。ゆっくり朝食を摂って出発(10:37)。ときおり雨が降るが、それほど激しくはない。仙台港北ICから三陸道に乗る。石巻港IC(11:38)で有料部分が終わるが、その先の三陸道開放区間をしばらく走って河北ICで国道45号へ出る。あとは北上川沿いに北上する。昨日の渋民村は、この遙か上流に位置することになる。

遠山之里(遠山は“とやま”と読み“とよま”の別の当て字らしい)という観光物産センター着(12:12)。ここも奥の細道に記載のあることがウリらしいが、どうやら一泊して先を急いだというだけのようだ。センターで共通の入場券800円なりを買って、教育資料館(国指定重要文化財)、水沢県庁記念館、昼食をはさんで玄晶石記念館、警察記念館、登米神社を見た。教育資料館は、旧登米高等尋常小学校だ。その建物は簡素ではあるが風格があり、一見して好ましい印象を受ける。赤門と呼ばれるレンガ積の立派な校門 がある。そこから見ると、小さな校庭をコの字型の校舎が囲んで守護しているようだ。コの字の両端には六方と呼ばれるホール(内周が下足棚になっている)があり生徒らはここから校舎へ出入りしたものだろう。建物はさして頑丈には見えないが、幾度かの地震や台風に耐えてきただけの作り込みがあるのだろう。今から思うとたかが小学校の校舎によくもこれほどの熱意で取り組んだものだと思う。教育への意気込みが今とは違ったのだろう。ここは楽しかった。口元がゆるんでしまう。昔の自分たちの通った小学校を思い出して、めいめい楽しんだようだ。

カメちゃんの入手したリストから選んで、油麩が名物のぶんき茶屋で食事をした。どこにでもある、ごく普通の食堂のようなところでだ。女主人の対応がすこぶるのんびりしている。こあがりの端には、その先代とおぼしき老女がつくねんと座っていてTVを見ている。もう少し仙境にはいっているらしく、ときおり昔を思い出したかのように注文の確認を奥に出しているが、じつは、その注文はすでに通っているのだ。今代がまたかというようにあしらっている。お客の老女も同様で、主人が断ってもらいたくて時間がかかるといっているのを意に介さず、“待っています”と落ち着いたものだ。どの客も都会の昼時のようにバタバタした様子はない。二階では消防団が宴会の真っ盛り。これは、待たされて待たされて悲惨なことになるのではと危惧したが、そうでもなかった。アサヒビールしかなかったのでおおかたは酒にしたが、思ったよりすんなり出てきた(あくまでもここのペースでだが)。この店の一本は2合弱あるようだ。燗の温度もほどほどで、悪い酒ではなかった。この辺りの名物という油麩を具にした丼とハットウがこの店の売りだ。カメちゃんとぼくはハットウに、残りは油麩丼にした。ハットウは、すいとんに油麩を浮かせたものだった。油麩は、お麩の厚揚げといえばいいか、外側に独特の歯ごたえがあって芳ばしい。汁はきちんとダシをとったものとは思えないが妙なクセはない。すいとんは好物なので、これで満足。冨山さんにはタクワンに次ぐ禁忌らしいのだけど。ハットウは、贅沢すぎて常食するのは御法度だったことからきているという。檜枝岐にも同じ語源のハットウがあるが、あちらはきな粉の代わりにすったエゴマをまぶしたきな粉餅のようなものだ。

はっとう異聞

今日(2006-06-19)のNHKの昼の「ふるさと一番」が登米市迫(はさま)町森だった。迫町は、登米の北西で、登米と伊豆沼の中間にある町。地元のひとの話すはっとうの由来は、法度からくることは同じなのだが、意味が違っていた。

この地方では、昔らかさかんにすいとん(ひっつみ)が食べられていたという。すいとんは小麦粉で作るし、当然、原材料は小麦だ。小麦を育てれば、その分、米の作付けが減って年貢が減る。それを嫌った領主がすいとんを御法度にしたという。裏を返すと、現代ならさしずめ節税対策。農民は年貢を減らすために積極的にすいとんを食べたのかも知れない。その意味では、麩も同じ。すいとんは小麦粉そのもの(おもに炭水化物)だし、麩は小麦粉の炭水化物を洗い流したあとに残るタンパク質、つまりグルテンだ。旨すぎるから御法度なんて、甘いもんではなかったかもしれないね。

あとの旧県庁や旧警察はとくに書くこともない。旧警察で昔の牢屋の実物を見たことと、登米神社に桂の巨木があったこと(今まで見た中で一番大きいか)、赤い鐘楼があって洗濯物が干してあったことくらいか。もともと寺だったものが、明治の廃仏毀釈で神社に転身して生き残ったものだろう。金谷氏の数えたところでは、下の鳥居から鐘楼のあるところへの階段は百八つあるというのもその証左か。最後に北上川の土手に登って、冨山さんいうところの“悠々たる北上川の流れ”を眺める。荒川や多摩川と違って周囲に高い建築物がなく水量が豊富だ。その深い水の色は、囲繞する丘陵の深い緑を映しているかのようだった。

登米の観光を終えて、さて次はとなったが、ぼくは、くる車中で話の出た塩竈神社を見てみたいと提案した。後藤さんとカメちゃんは先刻承知。チャウも何十年か前に来たことがあるというが、とくに反対はなく塩竈神社と決まった。同じ道を戻るのはというので、国道45号の北上川対岸の道を戻って途中で45号へ合流する。あとは三陸道を戻り、松島をやりすごして利府中ICで降りる(16:04)。ICから神社までは10分とかからない。

塩竈神社着(16:14)。神社は小高い丘の上にあり、市街から境内へ直登する見上げるような階段が表参道だ。その脇に「東北鎮守盬竈神社」とある。裏から回り込む車道(七曲坂)を使うと車で境内へ入れるという。大森、チャウ、橋元は表参道前で降りて階段を上がることにし、残りは車で上まで入る。そうとう急な階段だが、愛宕神社ほどではないようだ。登り終わったところにある看板に階段は二百二段とあった。階段の数は愛宕より多い。

境内(志波彦神社の「境内案内図」参照)は二段になっていて、下段の通路が属社の志波神社の前庭に通じている。短い階段を登って上段の本殿境内へ入る。いつもは繁盛しているようだが時間も遅く天気も悪く、神職や巫女さん以外はわれわれだけであった。雨に濡れてしっとりと落ち着いた境内をゆっくりと拝見する。正面に本殿があり、その奥に左本殿、右本殿が見える。さらに右手にも別宮があるが祭神は同じというから、なんのための別殿なのだろう。いつのころの建立なのか、どの宮もさほど古さは感じない。本殿の左右にタラヨウの古木がある。青い実を房状にたくさんつけているが、これが熟すと赤くなって美しいだろう。左の方が古いようで、宮城県の天然記念物になっていて、樹齢500年、樹高22メートル。そのほかに、境内には林子平制作の日時計や和泉三郎忠衡奉納の法灯(芭蕉が奥の細道に書いたという)などがあった。「境内案内図」によると、巨杉、大栃、ロウバイ、キンモクセイなどの古木があったらしいが見逃してしまった。

車グループとは大分遅れて合流。属社の志波彦神社の前を通ってデリカへ戻った。志波彦神社の前から塩釜湾の海面が見える。手前のビルが無粋な障壁となって視界を妨げているが、あれらがなければさぞかしの借景になる。

志波彦神社のWebページに、よると志波の音(シワ)は末端を意味するらしい。塩竈神社の祭神に協力したので境内に別宮を設けたとなっている。塩竈神社自体由来がはっきりしないらしいが、塩竈神社の祭神が大和朝廷系の神であり、志波彦は土着の豪族の祭神であったのか、などと推察する。そういえば、東北道の紫波SAの近くにある紫波城(志波城)は、坂上田村麻呂が蝦夷制圧の最前線として築いた砦だそうで、最前線はシワ(末端)に通じる。この場合、田村麻呂が征伐した蝦夷のアテルイはアイヌなのかとカメちゃんと話題になった。北海道の蝦夷はアイヌだが、東北地方の蝦夷は今でもどのような種族だったか分かっていないらしい(だそうだよ、カメちゃん)。塩竈神社発(16:45?)。

ここまで来たのだから塩竈の地酒である浦霞を今晩の酒にしようと思い立つ。醸造元は日曜で休みだったので近くの酒屋で購入。岩手、宮城は酒のレベルが低いが、これだけはと店の特別ブランドを勧めたそうな主人の口舌を聞き流して、ただの純米酒とする。次ぎにカメちゃんの案内で、塩竈駅前にある小さな魚市場へ。市場といっても3軒ほどの魚屋が狭い路地に軒を連ねているだけだ。魚介類は流石に種類が豊富だったが、市場に立ち入ったとたんに、日曜最後の都会客と見られたか、激しい売り込み合戦がはじまり、少々辟易した。やたらに値引きを叫ぶ舌鋒をかいくぐって、3匹1000円のアイナメと2パック1500円のシャコを求める。 今日は最後の宴会だから、あまり買いこまないようにと、帰りがけのマックスバリューで足りない食材だけを買って帰途についた(17:37)。カメ邸帰着(18:20)。

久々の茹シャコと山盛りのアイナメの刺身で、宴会が盛り上がったのはいうまでもない。前回の華屋宴会以来、カメちゃんの仙台単身赴任もそろそろ今年までだろうという話が出る。こちらへ帰ってきてくれるのは嬉しいが、仙台ベースがなくなるのはさみしい。複雑な気分である。

2006年6月12日 月曜日

曇り。 冨山さんの希望でフランスパンの朝食を済ませ、出勤のカメちゃんを送って帰途についた(8:49)。安太達良SAで給油、佐野SAで休憩し、無事に東川口帰着(12:30)

今回もまた楽しい東北の山・旅でした。カメちゃんに深謝。


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