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ふじさわ山荘(身延山と穂高周辺)

梓編年

2007年6月9日 土曜日

降ったり止んだり。時々強雨。

デリカ組の鈴木、高橋、大森、中村、橋元は、予定通り8時に東京駅八重洲口を出発。天気予報が芳しくないせいか高速は渋滞なし。釈迦堂SA着(9:24)。田中車組、冨山、後藤、田中を待つが雨が激しくなり車軸を流すが如し。田中車到着(10:15)。この頃には小止みとなる。ただの雨ならまだしも雷の予報があるので山行は断念。後藤さんの提案で身延山へ向かう。途中身延駅で静岡からのカメちゃんをピックアップ(11:20?)。

日蓮宗総本山身延山久遠寺

本堂北側の駐車場着(11:36)。前回の南都逍遥で古雅横溢の寺社を見慣れた目には、日蓮宗の総本山はいかにも近頃のできあいとった伽藍。カメちゃんに説明を頼んだが、曰く、解説に値しないとのこと。ぼくの見たところ、入口のトイレが一番優れた建物のようであった(失礼)。ただ、境内に枝垂れ桜の古木が多く、花時はさぞかしと思う(〜12:22)。狂言『宗論』は、身延詣での日蓮宗の坊さんと善光寺詣での浄土宗の坊さんが都への帰途同道し口論になるという有名な曲である。これで、その両方を見ることができた。門前仲町の駐車場に車を停めて平田屋で昼食。ビールと酒は当然としても、全員が湯葉定食。これだけ無条件に一致は珍しい。それだけ期待がないということ。帰りは裏道(旧道?)から国道52号へ戻る。

法喜山上沢寺の逆さイチョウ

国道沿いの看板に名物逆さイチョウとあったので寄ってみたら法喜山上沢寺であった。(14:00)。あとで調べると、別名お葉つきイチョウともいって、ハナイカダのように葉に直接実がなるそうだが、見た限りでは普通に柄の着いた実だった。ただ、柄が垂れ下がらないで上へ伸びているので“逆さ”らしい。この辺り、このような変わったイチョウが多いようだ。

甲府昭和ICから岡谷IC(15:28)。20号岡谷バイパスを経由して142号。この142号は旧中山道でそのまま山越えをすれば、梓には馴染みの望月宿へ至る。142号を新和田トンネルの手前で左折して和田峠(交互通行のトンネル)からビーナスラインを目指す。扉峠の西側からアゼリアライン(よもぎこば林道)へ入ると三城地区は間近い。ふじさわ山荘(16:16)。

室内では飲食禁止の建前なので、食堂下のホールでビールを取って前宴会。ここで後藤さん寄贈の2升のうち1升は空いてしまった。夕食には馬刺しを別に予約したが、それが余分に感じたほどの品数。慣れてしまったせいもあるか料理の出来は前回に及ばなかった。周囲の奥深い森林とともにこのメニューが宿のウリである。食後の宴会は、前回ほどの騒動にはならなかったものの、残りの1升も軽く空き、つぎのウイスキーも軽く空き、最後に冨山さんとっときのポケットビンにまで手が伸びる勢いであった。当日の運動量と酒量は反比例するか。

2007年6月10日 日曜日

曇り。ふじさわ山荘発(9:46)。

食堂の山側にわずかに花を残した4〜5mの高木があった。大森氏がズミだという。最近、こちらも耄碌してすぐにわからなかった。確かに、7月初旬に尾瀬ヶ原を歩けば木道横に人の背丈にも足りない灌木が花を付けてよい香りを放っている。それがズミである。さらに、もう一本花の残っている別種の高木があり小屋主もわからないようだった。あとで調べたところ、こちらはミヤマザクラ。この辺りの標高(1500mほど)では、ニセアカシア、ヤマボウシ、トチ、フジ、キリなどが満開で、ミズキの花冠がそろそろ緑から白へ変わろうとしていた。

松本市旧司祭館、開智学校

山荘から県道67号へ降りて西へ進むと松本城の北側へ抜ける。開智学校は、お城の北側200mほどにある(10:24〜)。いやでも登米の教育資料館(旧登米高等尋常小学校)を想い出す。ただ建物としては、あちらのほうが本格的に洋風と和風の融合を試みていたように思う。設計者の意気込みが違うようだ。各教室にテーマ別の展示があるが、内容も似たようなもの。そのひとつに、昔の教室を復元し、実際に椅子と机に座れるようになっている部屋があった。善さんと尚やんがちょこんと座っていたが、善さんは机上の石版でひらがなのお習字。あとできくと、読めない旧平仮名があったと悔しがっていたのがおかしかった。

今日は穂高方面が目的なので19号へ出ればなんとかなると開智学校から適当に西方向へ進む。じきに19号を横断してすんなり穂高方面への道へ出た。すぐに気付いたが、この道は昔から八方方面のスキーで使っていた147号だった。

飯沼飛行士記念館

カメちゃん絶対のお薦めスポット(11:49〜)。飯沼正明は、朝日新聞のパイロットで、当時(S12)最新鋭の朝日新聞社機『神風』で東京〜ロンドンを世界最速記録で飛行したんだそうだ。朝日の社員だったこともあり、また、当時の飛行機後進国の国威発揚になったこともあり、おびただしい数の新聞記事や写真が展示されている。この飯沼氏なかなか絵になる人で、当時の西欧人と並んでもなんら引けを取らない風格がある。惜しむらくは若くして殉職し、無念やるかたない父君が生家を記念館に仕立てたのだそうだ。この壮挙は、冨山さんにはかすかに記憶にあると聞いた。飯沼氏がロンドンに到着したときのイギリス大使は吉田茂で、偶然、ジョージ六世の戴冠式に名代で参列した秩父宮が英国に滞在していた。実は、ぼくの祖父がそのときにシンガポールまで秩父宮に随行している。そのとき宮と交わした談話の内容を記した絵葉書がいまも残っている。軍人でも役人でもなかった祖父がなぜ随行した(しかも途中まで)のか謎である。飯沼飛行士記念館、確かに面白かった。カメちゃんが言い出さないかぎり、絶対に訪れることはなかったとは思うが。

昼食は、記念館で聞いた榑木野(くれきの)というそば屋に行ってみたが、混んでいてダメ。この辺では評判の店らしいが、行ってみれば梓でも入ったことがある店だった。しかたなく、近くの勝味庵にする(13:00〜)。ここも以前スキー帰りに関根さんらと入ったこのとある店だ。トンカツの油のニオイがいやだといいながらもつきあってもらったことを想い出す。携帯の電話帳に登録してある店だが味は記憶にない。まあ、そのような店である。

穂高神社

穂高駅のすぐ裏で何度か来ていそうなものだが、はじめてだ(14:10〜27)。ここの祭神は、安曇族の祖神、穂高見命といい綿津見(ワタツミ)命の子。その降臨したのが上高地ということになっている。上高地明神池にあるのが奥宮、奥穂山頂の社が峰宮だそうだ。天孫ニニギが降臨してまずオオヤマツミ(山の神様の総元締め)の娘コノハナサクヤビメを娶り、つぎにその子ホオリ(山幸彦)がワタツミ(海の神様の元締め)の娘トヨタマビメ(穂高見の姉)を娶っている。つまり高天原から降りてきたニニギは、地上の神(祇)の代表として、まず山の神の娘と、つぎにその子ホオリは海の神の娘と結婚することで、天の神と地の祇の融合をなすのである。ホオリ(山幸彦)の子のウガヤフキアエズもワタツミの娘タマヨリビメ(トヨタマの妹、穂高見の姉)を娶り、その子がたれ知らぬ神武天皇だ。つまり、穂高見は神武の叔父になる。この神社、相当格式が高いのである。まあこれは安曇族の由来ともかかわってくるのだが、この辺にしておこう。最近、この手の話になると長くなっていけない(あと未完の『神武東征』読後感が控えている)。神社の縁起受け売りみたいになってしまったが、縁起のごとく、なかなかの神社だった。

栗尾山満願寺

真言宗豊山派。ここも、東大寺、石山寺と同じく聖武天皇の勅願寺だという。それにしても奈良、近江はいざ知らず、この僻地に寺を発願するからには、それなりの情報が中央にまで届いていたのか。不思議な気分だ。参道の脇の川に屋根付き太鼓橋「微妙(みみょう)橋」が懸かっていて、三途の川を渡る橋だそうだ。屋根の曲線がなかなか見事である。観光地だと進入禁止だったり渡橋代を取られそうなところだが開放されているので渡ってみた。昔は車道など通っていないから、参拝者はまずこの橋から寺域へ入ったのだろう。曲折する階段を上って仁王門を通り境内へ至る。仁王門の手前になかなか愛嬌のあるお地蔵さんが赤いキャップを被っていたので携帯で撮ってみたがブレブレであった。林の中で相当暗かったのだろう。お寺も悪くはなかったが、それよりも帰途に通ったつつじ公園がよかった。上から見て参道の左手、いわば女坂の周囲がよく手入れされたツツジが群生している。ツツジの花期はとうに終わっているが、満開のころはさぞかしであろう。

来た道を戻って147号へ出て豊科から高速へ。みどり湖SAでカメちゃんは田中車に移った。甲府南ICで降りて身延線の駅まで送ってもらう交渉が成立したという。駅まではカメちゃんがいるから安心だが、そのあと高速へ戻りそこねて甲府盆地を一周したりしなければよいがと案じつつ別行動とした。

談合坂辺りの中央高速が三車線になったのと、天気が悪かったせいもあるだろうが、さほどの渋滞もなく、東京駅に19時頃に帰着。今回の旅も無事終了した。次回は山か、はたまたユースホステルとなるか。


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