道草Web

八方スキー

梓編年

メンバー:鈴木、大森、中村、橋元

2008年2月29日 金曜日

7時20分頃、善さんを乗せて大森車来宅。7時半過ぎに新井宿でチャウを拾って出発。車中で話し合ったのだが、本杉小屋へ行かなければいかないから、どうやら八方は10年以上滑っていないことになる。あとで調べると、最後の本杉は1998年だが、そのとき八方へは行っていない。

関越で、志賀のときと同じルートを走る。途中、長野ICで下り、市内を横断して、下氷鉋南の信号で19号バイパスへぶつかり、松本方面へ左折する。バイパスはいつしか旧19号に合流し、信更町で19号を左から潜って右折し、白馬長野有料道路へ出る。この道路は、以前、国道148号の混雑を回避するのに使った美麻を通る道に通じて、そのまま細野の旅館街の東端に達する。あの迷路のような旅館街で、初めての宿「上手旅館」を探すのにちょっと時間を要したが、11時前に到着。

難読地名 上手(わで)、下氷鉋南(しもひがのみなみ)

上手は“うわて”からの転訛だろうとは予測がつくが、最初からそうは読めない。確かにこの旅館、このあたりの高台にあって、周囲を見晴らす位置にあった。

氷鉋(ひがの)は、帰りに話題になった。行きがけは簡単に分かるが帰りだと、この右折信号がわかりにくい。国交省の意図なのだろうが、バイバスを走ってきても長野ICへの標識がない。そこへきて、この難解地名の交差点だ。大森氏は運転しながら何度か来ているのだろうが、どうも憶えにくい地名だという。たしかに、道路標識にローマ字が添えてあるのでかろうじて読めるが、珍しい地名だ。前後に“下”と“南”があるのでなおわからない。あとで調べると人名にもある。

ポリネシア語で地名を解くという怪しげなサイトだが恐るべき蘊蓄(なんだか善さん、好きそう)

八幡原の戦いでは、はじめは上杉方が優勢でしたが、妻女山へ向かった武田方の別働隊が引き返して来てからは武田方が優勢となり、上杉方は八幡原の北、犀川右岸の氷鉋(ひがの。和名抄は更級郡九郷のうちに「氷鉋(正しくは金へんに色)郷」があり、「比加奈(ひかな)」と訓じていますが、永禄10(1567)年の武田信玄宛行状には「比賀野郷之内」と、天正10年の上杉景勝安堵状には「日賀野」とあります。現長野市川中島町上氷鉋・同市稲里町中氷鉋・同市稲里町中氷鉋に地名が残ります。)を経由して犀川を渡り、善光寺へ引き揚げました。この戦いでは上杉方の将兵の死者3,400、武田方の将兵の死者4,600にも上る甚大な被害を出したといわれ、戦場周辺の農民の被害も多かったとされます。

閑話休題

上手旅館は、高台の旧農家を民宿に改造した宿である。玄関を入ると広い三和土で、上がってすぐの小座敷には、一辺に3人、合計12人くらい入れそうな巨大なコタツが据えてある。まだら?かと思えるお爺さんが出てきて、食事の用意ができているという。夕食はキャンセル(1000円引き)してあるのだが、どうりで玄関に焼き魚の匂いが漂っている。大森氏が話をして、用意した分は明日の朝食に回してくれることになる。しかし、朝から、前夜焼きかけのサンマの干物か? 家屋の構えは大きいのだが、廊下はきしむ、やたらに段差はある、トイレは広いが古びて消臭剤の匂いに満ちている。数十年前の民宿がそのまま冷凍保存されているといった風情。まあ、近頃のひとには敬遠されるかもしれないが、年寄りにはそれなりに懐かしい。昭和レトロなんてものより、よっぽど実味がある。部屋は玄関から階段を上がって、左手の奥の裏側であった。

恒例、無事到着祝賀プチ宴会は、角上魚類のおかげで魚は豊富である。明日の分も含めて、ホウボウ、メバル、ソイなどの白身魚に、ツブ貝、タラの白子、ホヤなど、よりどりみどり。それにチャウの大豆と数の子のツユ漬けや、わが自家製のダイコンのビール漬けもある。酒は神亀純米酒。プチ宴会の楽しくないわけがない。

2008年3月1日 土曜日

窓を開けると本格的に降っている。ただ、気温が高くベタ雪だ。裏手に人家は見えず広い畑になっているらしいが、雪に覆われてよくわからない。雪原の奥は黒々とした杉林になっている。八方のゴンドラ麓駅から見ると正面に小山があるが、この宿は、ちょうどその小山の裏側に位置するらしい。上手旅館の玄関は細野の旅館街を見下ろすが、裏側はこの山の懐になる。じつにひさびさの雪国風情である。うれしくなってしまった。もちろんスキーは念頭にない。さすがの三氏も、辟易のようすで、ゆっくり朝食にする。小さな食堂で我々以外にいないので、ビールを持ち込んで“お早う”の挨拶。午前中は、宿で過ごす。

昼近くに小やみになったので、予定の行動食を部屋で食べて空身で出かけることになった。大森氏からトラベルミンをもらって飲む。前回の志賀で効いたので、また試してみる気になった。

宿から名木山まで歩いて、そこの左端のリフトで登ってゴンドラ麓駅へ下り、ゴンドラで兎平へ。リーゼンを下りたり、パノラマを下りたりした。いつも先に滑ってしまうので、久々にチャウの滑りを見たが、やはり上手い。板に乗っている位置がいいのだ。無理な力をいれずにふんわり板を押さえている。翻って、自分の滑りは、無理矢理板を押さえこもうとして、押さえ損ない、じたばた板と格闘している思いがする。ついに彼女のスキーに追いつくことはできなかったと、しみじみ思った。

パノラマから広いコースで国際まで下りられるようになっていた。昔も下りられたかもしれないが、相当な悪路だったと思う。国際第一ペアに乗ると、延々かつ遅遅としているが、パノラマの下まであがれる。雪は止んだわけではないが、トラベルミンのおかげで何とか滑れた。薬がなければ一発である。しかし、副作用はあって、三蔵法師にキンコ呪をとなえられた孫悟空のように脳が締め付けられる。

夕方は、持参の刺身を楽しんでから、宿の食事だ。土曜の晩とあって、何組かの宿泊客があって、大食堂でいっしょに食事になる。今朝の食堂は頭がつかえるような狭い部屋で、納戸を作り替えたかと思ったほどだが、こちらはゆったりとしていて、白地の壁布を焦げ茶の柱で引き締めて今風である。素人画家の山岳絵や静物画などが周囲の壁を埋めている。

昨日から感じていたのだが、普通この手の宿で、お爺さんが出てくれば、この屋のご隠居でもあろうかと思うのだが、それにしては態度が卑屈である。どうも、女手がなくて、このお爺さんと、料理を担当する中年男の二人だけで切り盛りしているらしい。お爺さんは、いちいちその中年男に伺いをたてているので、隠居ならぬ使用人なのだ。そんな賄いでは、冷凍をチンの味気ない料理を思ってしまうが、そう悪くはなかった。いちおう、それなりの手が入った料理であった。お爺さんも、賑わいに活気づいたのか、昨夜と打って変わって元気がいい。なんだかはしゃいでいるみたいなのだが、依然として話の要領は得ない。大森氏が持ち込みOKを確認して、昼用のワインで夕食をした。

2008年3月2日 日曜日

昨日とはうって変わって、快晴。例によって朝寝坊を決め込んでいると、善さんや大森氏が何度か食堂を覗きにいっている。お天気がいいから早く滑りたいのだ。しかし、さっぱり支度の様子がないという。そうこうするうち呼び出しがあり、持ち込みビールで朝食を済ませた。荷物をすべて車に運び、車は宿の前に残して名木山まで歩く。昨日は運転していなかったリーゼンクワッドで兎平まで上がる。青空が広がって視界はよいが黒菱はガスの中だった。今日は薬を飲んでいないので上りは諦める。パラダイスから斜めにリーゼン寄りに滑って白樺へ下りる。しかし、昨日とは大違いの混雑。上りになるが、八方下部のトラバースルートを昨日の国際第1ペアまで戻って、パラダイス下部まで上がる。すでに山頂のガスは晴れて、後立連峰が一望できる。そのまま、リフトを乗り継いで国民宿舎まで登った。パラダイスのリフトは左側(リーゼン側)へ乗ってしまったが、右側(北尾根側)に乗って、兎平右のアルペンクワッドに乗り継ぐのが正解。

国民宿舎前で山頂の儀。白馬三山の眺望をほしいままにする。前回、美ヶ原の眺望を思い出した。今回のチャウの写真はここからのものが多い。第一ケルンから兎平109まで一気に下って11頃に昼食。時間が早いこともあって、パノラマ寄りの展望の良い席でゆっくり食事。懐かしのブルザンのチーズをクラコットに塗り、ビールとワインを楽しむ。今回は、肉類のつまみはぼくの自作。いつもツマミ係のチャウが買ってくる肉に文句ばかりいっているので、たまには罪ほろぼし。醤油風味ローストビーフとローズマリー風味ニンニク入りローストポークである。後者は、いつだったか黄蓮谷に本田氏が持参したものを思い出して作った。まあ、化学調味料と人工甘味料ばかりの市販焼き豚よりよかろう。最後に、どうでもよくなっていたが、クーポンで割引メニュー600円なりのカレーを食べる。そうそう、今回、大森氏の手配したクーポンは、宿泊代、スキー2日券、入浴券、昼食の限定メニュー600円券、その他の食事1割引券などが込みになって2万円しなかった。

午後は、北尾根、リーゼンなどを滑る。3時過ぎに上がって宿に戻り、車で「みみずくの湯」へ移動する。この温泉は、細野の部落を出て白馬駅方向へほとんど国道近くまで行ったところにある。女性の喜ぶ、お肌すべすべになるアルカリ泉だ。旅館街から離れているので普段はすいているそうだが、今日は結構混んでいた。白馬三山を一望できる露天風呂が気分がよい。もちろんクーポンの適用される温泉なので無料であった。

帰途、「佐久の草笛」へ寄る。サービスはなかなか、つまみの酒もまずまずだったが、肝心のソバはやたらに量が多くて固いだけで旨みが感じられない。さすがの大森氏ももてあますほどの量だ。それに寝ぼけたようは甘ったるいツユなので、成敗するのに苦労した。

ここまでは大森氏だったが、最後は善さんの運転で、10時過ぎに帰宅。ドライバー諸氏にはもうしわけないが、ハンドルを握らなくていいというのは、気楽なもんですなあ。

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