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梓夏山 戸隠山

梓編年

2008年8月9日(土) 戸隠牧場へ

晴れ。9時15分頃、大森氏来宅。今回は総勢9人。2張りのテントと共同・個人装備などを積み込んで出発。これだけの人数になるとさすがに装備も大がかりになる。

10時少し前に南浦和着。高橋、中村、亀村をピックアップ。高坂SAで、田中車(冨山、後藤、鈴木同乗)と合流。高坂の先も渋滞があって、高速を走るうちに昼どきを過ぎてしまった。長野ICを降りてすぐにある、おぎのやの「そば藏」で昼食。1時はまわっているし、幕営地につけばすぐに宴会だし、ということで、ビールもとらず(アサヒだったせいもある)に軽めの昼食とする。

食後、例の難読地名の下鉋南(しもひがのみなみ)で長野南バイパスへ出てツルヤというスーパーで酒・食料を調達。この店、カメちゃんが“地元で元気だ”というとおり、なかなかの品揃えだったが、惜しむらくは魚がダメ。大森氏がわざわざ並びの西友まで見に行ったというが、そちらもダメ。長野文化ということらしい。

買い物が終われば、あとは一路戸隠を目指す。長野平野で36度を超えていた外気温も、ぐんぐん下がって20度台へ。我が家に空調がないこともあって、ひさびさに高温・高湿のストレスから解放された気分である。4時頃に戸隠牧場キャンプ場着。

戸隠牧場への途中にいくつかキャンプ場があるが、どれも車が一杯だった。予想通り、ここも満杯。人と車でわんわんしていた。受付で2日、2台分、12,000円のキャンプ代金を支払い入場。混雑のため普段は開けていない一番奥の区画がすいているというので、そこへむかう。キャンプ場全体が戸隠山麓に展開しているので広大な斜面をなしている。その一番奥、つまり、一番高い場所にその区画があった。確かに、すいているというか、われわれ以外に車はない。それもそのはず、ほかのところはきれいにならされた芝生だが、ここは牧草地を刈り込んだばかりで枯れ草の匂いがする。ほとんど整地もされていない凸凹のまま。あとから入ってくる車もあったが、おおかたは一巡して退散する。しかし、山屋にはこの程度の場所は御の字。刈り込で放置された枯れ草がそのまま上等なしとねとなる。この区画の北側、入口と反対側には戸隠山の岩肌がそそり立っている。この時点では、眼前に見える山が戸隠山だと思っていたのだが、あとで善さんが気づいたように、じつはこれは九頭龍山で、戸隠本山は左手の森の陰に隠れていた。幕営区画の垣根の外には、キツリフネ、セイヨウノコギリソウ、ヨツバヒヨドリ、チダケサシ、シキンカラマツ、ウバユリ(蕾)など。

久々に8人用のテントを2張り設営。大森氏が物置から引っ張り出したという?十年物のタープと椅子・机セットなどを設置する。そのうちに、ほかのキャンパーも何組かこの区画に入り込んできたが中央に広い空間を残して、垣根沿いに点々と場所を占める程度だ。宴会は、チャウの枝豆にはじまり、大森氏の刺身盛り合わせ(サンマ、シメサバなど)、後藤さんのゆで豚など。ひさびさにほぼ全員揃って盛り上がったことはいうまでもない。最後は、恒例、ペペロンチーノで〆となった。

2008年8月10日(日) 戸隠山登山

晴れ。体調不良の田中君は単独で飯縄山へ向かう。スケッチが目的の冨山さんと、カメラ撮影の後藤さんは、田中車で鏡池まで送ってもらうことになった。鈴木、高橋、大森、中村、亀村、橋元は戸隠山へ向かう。

尚やんのお粥で朝食をすませて、山頂乾杯用のビールと氷をテントマットにくるんでザックに押し込む。7時前に幕営地を出発。取り付きがわからないので事務所まで降りたが、登山道は幕営地からほぼ等高線に沿って山麓の森を行く。由来は知らないが“ささやきの小径”というのだそうだ。バイケイソウ、ジャコウソウ、トチバニンジン(実)、サラシナショウマ(蕾)、ミヤマイラクサ、メタカラコウなど。小一時間歩いて戸隠奥社の随神門に着く(8:50)。建物の姿からは山門と書きたいところだが、ここは神社だから神門。とくに、仁王門を真似て左右に左大臣、右大臣を配置する形式を随神門というそうだ。随神門からは杉の巨木に囲まれた参道をしばらく登る。登り切って、正面の岸壁の裾に戸隠神社奥社が、一段下の左側に九頭龍社が鎮座する。奥社の祭神は天多力雄命(たぢからおのみこと)。天照大神が岩屋に籠もったときに、岩戸をこじ開けた神様である。そのこじ開けた岩戸が飛んで地上に落ちたのが戸隠山とは、へえ、知りませんでした。奥社前で一休み(9:00〜)。じつは、地図も見ずに奥社が山頂かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。本当の山道はここから始まる。

奥社から少し戻った右側が登山道取り付きである。夏山案内所(普通のかまぼこテント)があって、そこで登山者名を記帳する。相当な年齢の老人がこれからのコースを説明している。みるからに急登の鎖場や有名な蟻の門渡りの難所の大判の写真を示して、ここから落ちて助かった人はいない、などと脅している。まったく予備知識のない人がうっかり入山してしまうのを防ぐためだろう。いくら山ずれしているとはいえ、こちらもいささか心が引き締まる。

取り付いてからは、急登に次ぐ急登である。汗みずくの登山者をよそに、道端にソバナが涼しげに揺らいでいる。いささかしごかれてのち、はじめての短い鎖場が現れる。それをやり過ごすと五十間長屋の岩屋に出る(10:00〜)。岸壁を斜め横にノミでくり抜いたように岩が凹んでいて絶好の休息場だ。眼下に広がる森の先に飯縄山の穏やかな山容が立ち上がり、その山頂から戸隠スキー場と飯縄スキー場のゲレンデが緑の帯となって流れ落ちている。休憩のときにカメちゃんが配ってくれたゼリー飴を食べたら、なにか固いものが歯にあたった。いやな予感がして取り出してみると、やはり奥歯に被せたキャップであった。セメントが埋めてあるから食べるに支障はないが、気持ちのよいものではない。

五十間長屋を出発して少し尾根を西側へ回り込むように登るとすぐに百間長屋だ。五十間長屋と似た地形を倍に伸ばしたような構造である。五十間は端をかすめたが、ここは北へ斜上する百間?の岩の凹みを通り抜ける。長屋が過ぎるとまた急登が始まり、やがて長い鎖場にでる。ここではじめて先行パーティーに追いついた。両親が子供を連れて登っているらしい。時間がかかりそうだし、すぐ下に並行するルンゼが通っていたので、そこを登って親子の先に出た。鎖場より簡単だとおもう。そのあとも2つほど鎖場が続いて短い水平路に出たので、後続を待った。多分、道を譲ってくれるだろうと考えたのだ。案の定すぐにみんなが姿を現す。さらにもうひと登りで核心部の蟻の門渡りに出た。

なるほど、幅1mもない切り立った岩稜が緩やかに登り下りを繰り返しながら数十mに渡って続いている。このくらい幅があれば地べたでその間を歩くことは何の造作もないが、その両側は数十mの絶壁となって切れ落ちている。高度感には苛まれるし、落ちれば確かに助からないだろう。が、ルート自体の難しさはない。比べるのもなんだが剣尾根をコテで叩いて少し滑らかにしたような感じだ。南側に迂回ルートもある。先頭の大森氏は慎重にバランスを取りながら確実に歩みを進めている。カメちゃん、尚やんも続く。後続パーティーが追いついてきたので撮影しているチャウを促して核心部へ足を踏み入れる。実際に自分で歩いてみると足下の岩面とはるか下の両側の谷底が一度に視野に入るので焦点がさだまらない。無理矢理立体写真を見ているような按配だった。もちろん、全員難なく通過したのはいうまでもない。

門渡りを過ぎるとすぐに八方睨のピークだ(11:10〜12:00)。ときおりガスがかかって視界をさえぎるが、名前のように360度の展望である。登ってきたのと反対側 (北方)に、高妻山(1999年10月に登った)の三角錐を望み、東に飯縄山が、西側には西岳へ連なる険しい稜線が見える。少し戻って見下ろせば、いま通過したばかりの蟻の門渡りが眼下に起伏する。門渡りにさきほどの親子の姿がない。諦めたのだろうが、それが無難だ。戸隠、飯縄間の森林帯には溜め池が点在するが、そのうちの一番手前の大きなものが鏡池だ。戸隠山頂はまだ少し先だ。進むべきかどうかしばらくやり取りがあったが、結局、ここで昼食となった。日差しがあると暑いが、それもあまり長続きせずにガスがかかる。早速、ザックからビールを取り出して乾杯。ロング缶5本と2キロの氷のブロックを断熱マットでくるんできたから、がっちり冷えている。この夏山の頂上で、キリッと冷え切ったビールを飲むというのはこの上ない快感である。なかには、これは冷えすぎだなどと文句をいう人もいたが、無視である。昨日ツルヤで買い込んだパン類とバター、チーズに、おむすび、お稲荷さんなど種々雑多な昼飯となった。

今回は、登ってくる途中で数パーティ、ピークでも数パーティしか出会っていない。夏山最盛期の日曜とすれば登山者が少なすぎる。すいていることに越したことはないし、蟻の門渡りで登り下りが交錯する渋滞など考えるのも嫌だが、不思議な気がした。それほど登山熱は冷めてしまったのか。下山してから、近くで幕営していた同年配の山屋さんに聞いたところでは、このあたりはお盆どきはオフシーズンで、秋が混むのだそうだ。そういえば、高妻は秋だった。これほどすいていれば、もう一度秋の高妻山もいいなあと思ったが、やめたほうがよさそうである。

八方睨から十数分で戸隠山頂(12:13)。「戸隠山頂 1911m」の標識があるだけの狭い山頂である。木立に囲まれているので視界はよくないが、かといって、日差しをさえぎってくれるほどの高木はない。八方睨の昼食は正解だった。ここから先、登山道は、おおむね左側が丈の低い灌木帯、右側が切り落ちた断崖で限られた痩せ尾根を忠実に辿る。一歩踏み外せば蟻の門渡りと同じだが、草むらや藪が視界を遮っているし、谷底から霧も吹き上げてくるので切迫した高度感はない。それに、その草むらはお花畑になっている。シモツケソウ、タカネナデシコ、ミヤマママコナ、イワハゼ(実)などの赤に、ミヤマダケブキ、オタカラコウ、ミヤマアキノキリンソウ、イワオトギリ、ホタルサイコ、ハクサンオミナエシ(コキンレイカ)などの黄色、ゴマギ、ノリウツギ、ツマトリソウ(蕾)、ミヤマホツツジ、オンタデ、タカネイブキボウフウ(?)の白基調に薄黄や紅、オオバギボウシ、ホソバミヤマシャジン、マツムシソウ、タテヤマウツボグサ、クガイソウなどの赤紫と紺など色とりどり。ミヤマコゴメグサと思われたものもあったが、あとで調べると特産トガクシコゴメグサがあり、トガクシは葉の鋸歯の鋭いのが特徴という。戸隠には両方あるように思うが、写真では肝心の葉の部分がぼけていて自信がない。

途中、九頭龍山とおぼしきところで休憩し、あとは1時間ほど林の中の縦走路を上下すると一不動の避難小屋へ着く(14:00〜)。ここでもう一服した。便所がないので非常時以外は利用禁止と看板にあるが、結構、泊まる人も多いようだ。八方睨で遭ったオバサンもここに泊まったといってたっけ。高妻と戸隠を両掛けしようとすれば、ここはベースに絶好だ。途中で、ジャラジャラの岩道具で飾り立て、防虫ネットで顔を覆ったけったいな風体の初老の男がバテバテになっているのを追い越したが、しばらくしてそれが追いついてきた。われわれの目を避けるように避難小屋の脇に入り込み、あきらかに冷えてはいないビールのロング缶を不味そうに飲んでいた。見ているだけでも暑苦しい。どこへいっても必ず居るよな、こういうの。

避難小屋からの下りは、高妻山で経験済みだ。しばらくは沢通しに下る。クロクモソウ、ミゾホウズキが咲いていた。谷幅一杯にスラブ状になる個所の左岸が鎖場になっていて、高妻のときは、中高年団体のガイドがここでザイルを出して大渋滞。待っていられないから、右岸の藪をこいで、靴を泥んこにして下ったことを思い出す。そのすぐ先でルートは沢を右へ離れて、岩壁を斜降する外傾バンドにでる。岩壁に一定間隔で打ち込んだ支点から1mほどの鎖が垂らしてあり、それを手掛かりにバンドを通過する。乾燥していれば鎖は必要ないが、濡れたり凍結して滑りやすいときはありがたい。あとはオオイタドリが覆い被さる沢沿いの道をひたすら歩く。斜度が緩むとトチやサワグルミの大木が目立つようになる。道の脇に「大洞沢」の看板を見るとまもなく牧場へ出る。テント帰着(15:45)。

今晩の宴会は、また枝豆からはじまって、ナス、キュウリ、ミョウガ、大葉の塩もみ(あっ、おれ食ってない)、わが家のゴーヤでチャンプルーなど。メインはチャウの野菜天ぷら。これが絶品だった。以前、南アの大樺沢のキャンプ以来、チャウの天ぷらは梓の定番であるが、今回はひときわいい。ああいう劣悪な調理環境で、歯ごたえのかりっとした旨い天ぷらを食えるとは、幸せである。〆は当然、素麺。流石に昼の疲れがあって、今日はみな就寝が早い。

2008年8月11日(月) クアハウスとうなぎの宿「住吉」

晴れてはいるが、山には雲がかかっている。まだ涼しい6時前から起き出して、残りのビール2本をお目覚に、各自食当やら、片付けやら……。冨山さんは戸隠山のスケッチに余念がない。今回は、大森指令で最終日の朝は残飯整理となっていたが、梓には珍しくほとんど残り物がない。テントの売店にカップ麺があったというのでカメちゃんが偵察に行ったがはまだ開いていない。田中氏が受付でもらった説明書には8時開店とあった。テントは夜露でびっしょりだが、フライを外して乾かそうにも、草地もやはりたっぷり濡れている。高原の朝は気持ちがよいし、帰りに是非寄りたいところもなし。ここはのんびり構えるしかない。開店まで、わずかな行動食の残りで食いつなぎ、残りの酒をちびちびやって時間を過ごした。頃合いをみてカメちゃんとぼくがゴミを捨てがてら買い出しに行き、カップ麺人数分とロング缶を3本買って戻る。湯を沸かしてカップに注ぎ、残りの卵をオムレツにして、朝食完了。残るは後片付けのみだ。

食後は、みんなで鏡池から戸隠山を見てみようということになった。山頂付近はガスがかかっているのであまり期待はないが、冨山さんも昨日スケッチはできたが着色がまだだという。二日間世話になった戸隠牧場をあとにする(???時間)。鏡池は溜め池ではあるが、北西の戸隠山側は深い森、南西の道路側には草の刈り込まれた広い斜面とレストハウスのある気持ちのよいところだった。案の定視界はよくなかったが、冨山さんの着色が仕上がるあいだ、草地に寝転がってのんびり時間をつぶした。

下界の暑さを思うと、どこそこへいってみたいという気も殺がれる。とりあえず汗を流してさっぱりしたい。長野へ出る途中に温泉があるだろうと期待したがなかった。長野市内へ下ると外気温は一挙に上がる。テラノもクーラーがへたって市街走行ではあまり温度は下がらない。あてもなく探してもらちがあかないと、大森氏がセブンイレブンに飛び込んで店員に訊ねた。店内は相当な混雑で、買い物もしないで道を訊くのは勇気がいったろうが、中年の女店員は若い人に仕事を任せて、丁寧に場所を教えてくれたという。なんでも、左にホームセンター、右にセブンイレブンのある交差点を右折して右側にあるという。似たようなシチュエーションで、左はホームセンターだが、右側はセブンイレブンの看板というところがあって、少し手間取ったが無事到着。「ぶらっと稲田」というクアハウスで、北長野駅の近く、JR信越本線の脇にあった。駐車場に車が多かったので心配したが、屋内は広々として客もまばら。温泉も工夫を凝らしていろいろなタイプがある。いくら凝っても風呂に興味はないが、なにより、広くてすいているのが一番。混雑は時間帯や季節にもよるだろうが、梓データベースへ登録することにした。

さっぱりしたところで、クアハウス内のワラジ豚カツという話も出たが市内で食事の流れになった。大森氏が店を決めてから出発しようというので、思わず“善光寺裏のウナギ屋”と口走った。以前、年末の八方が小雪でスキーにならず、本杉小屋から長駆善光寺まで来たとき昼を食べた憶えがある。冨山さんも憶えていて“あのときは不調であまり食べられなかったから仇討ちだ”という。善光寺裏は参拝客用の駐車場が集中しているところでわかりやすいが、どうも思い当たる店がない。しかし場所はここ以外ありえない。一回りして引き返えす途中でカメちゃんが「うなぎ 住吉」の看板を見付けた。善光寺本堂の真裏、北参道を北上するとすぐに左手にモウモウと煙を吐いているウナギ屋があった。どうも記憶とは違うが、それなりの雰囲気はあるのでここに決定。店の駐車場に車を停め、どやどや9人が奥座敷へ上がり込んだ。

接客は、従業員によってばらばらで、根っから愛想のよいのから、笑顔の下で客の品定めをしているようなのまでいろいろ。どうも古参というか主人側の人間らしきバアがうさんくさい。ハヤリの店に多い“ちょっと勘違いしているんじゃない”のタイプだが、席を蹴って出るほどではない。ツマミを訊いてみたが、あるにはあるものの繁忙期であまり余計な調理はしたくない模様。というか、これだけの人数でウナギも食わずに、つまみだけで延々一杯やられてはかなわないと思ったのかも知れない。バアを問い詰めると、いやいや一品料理のメニューは出してきた。ろくなものはなかったので、お新香とキモ焼きだけで、ビールと酒にした。運転手のカメちゃん、善さんには申し訳なし。面白いのはメニューに、ウナギの部位を色分けした図が付いていて、どのメニューはどこをどのくらい使うか分かるようになっている。まあウナギは一匹分がよかろうと、頭以外が着色した図に対応するウナ重にする。2,500円ほどだったか。さほど待たせず出てきたウナ重は合格だった。たしかに一匹分(あるいはやや多め)のウナギが載っていて、下手な焼きだが江戸風ほど蒸しはきつくない。タレは甘すぎず、ウナギの味わいは自然。シャリと山椒がいま一だったが、これなら再訪もありうる。これも、梓データベースへ登録。帰ってネットで見ると、うなぎ、ふぐ、てんぷらなどなど、日本料理なんでもありのメニューが載っていた。Webの案内では、200席とあったので、おそらく宴会場が別棟にあり、以前われわれが入ったのはそちらだったかもしれない。

善光寺へ寄る予定だったが、それも面倒になり帰途につく。高坂SAで精算をすませ、田中車(善さん運転、冨山、後藤、田中)と別れた。久々の夏山で、久々にしっかりした山を楽しんだ。山行の直後は、もっと登らねばと思うのだが、家に帰ればいつもうやむやになる。今度もどうなることか。なにはともあれ、楽しい夏山であった。よい仲間がいればこそである。

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