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2010年梓ひだまり山行 独鈷山・塩田平(川喜多農場)

梓編年

概要

参加 冨山、後藤、鈴木、大森、中村、田中、亀村、橋元

11月26日(金)

● 田中車 東京駅、夜7時集合 冨山、後藤、中村、田中、橋元

● 大森車 柏駅、夜7時集合 鈴木、高橋、大森

関越嵐山SAで8時半に両車合流。初日夜と翌朝食は大森氏とチャウが用意してくれたので途中の買い物はなく予定通り10時半に川喜多農場着。われわれより遅く帰宅した川喜多さんもまじえて小宴会。

11月27日(土)

● 塩田平散策 田中車(冨山、後藤、田中、亀村)

直前に風邪を引いたカメちゃんは、高速バスで小海線岩村田駅に到来。田中車に合流。

● 独鈷山登山 大森車(鈴木、大森、高橋、中村、橋元)

11月28日(日)

最終日は大森車(鈴木、高橋、大森、亀村)、田中車(冨山、後藤、中村、田中、橋元)に分乗。冨山さんの希望でまず茂田井宿へ。そのあと望月宿に寄り、佐久で昼食を済ませて現地解散。田中車→高速道はわずかに速度の落ちる渋滞があった程度でJR埼京線北戸田駅着(15:42)。

 

独鈷山(とっこさん)

快晴。全員で朝食をすませて川喜多農園を出発する(9:41)。独鈷山登山隊と塩田高原散策隊に別れることは決まっていたが途中の携帯連絡で最終的に、山へは、鈴木、高橋、大森、中村、橋元、散策組は冨山、後藤、田中と決まった。

最近はカーナビがあるのでルートファインディングはほとんど必要がなくなった。142号(旧中山道)、254号(川越街道;一部152号と重複)と経由して独鈷山宮沢コースの登山口を目指す。途中、ツルヤ(このスーパー品揃え良し、魚鮮度良し。味に淡泊な信州には珍しい)で昼のプチ宴会用の食料を、さらに武石沖のピコでビールのロング缶を仕入れる(ツルヤにないわけではない。ワインだけですますかどうか、ここまで結論がでなかっただけ)。ぼくはカップを忘れたのでそれも頼んだ。

(大森氏が紹介してくれて、今回利用した登山案内『信州山歩き地図』は非常によくできている。構成が、最近の政治用語でいうと“きちんと”していて、写真、イラストが豊富で達意の文章。【信毎ホームページ大賞】をとったのもうなずける。プロフィールを読めばもっとうなずける。川喜多農場ベースの場合、この案内の利用価値は高い)。

最初、あれが独鈷山かと思っていた山はトンネルでくぐり抜けさらに先に進む。254号添いに独鈷山入口の標識を見つけて右折したが、標識がなかったらとても入る気にならないような細い村落道だ。人家を縫って進み、それから山道をしばらく登る。途中にも案内があるので不安はないが、すれ違いは無理だし、そのためのスペースもない。時間的に下山するにはまだ早いにしても対向車があればアウトという道だった。それでも2つある駐車スペースの奥のものまで上り詰めた。簡単にUターンする余地もないから、満杯だったらとひやひやものだったが、なんとか止めることができた(10:54-11:00)。

宮沢コースは開けた沢沿いにほぼその右岸をたどる。尚やんはこの沢の名前からコース名をとったのだろうといっていたが地図では御座敷沢となっていた。近くに宮の入沢もあるが入口の集落が“宮沢”と地図にあったのでそれだろう。はじめはスギ、モミ、イヌガヤなど針葉樹が多いが充分に間伐されているので明るい。沢の左岸の木立に沿って包装用のテープが何本も張りめぐらしてあり、キノコ山だから入るなとある。これは、やや雰囲気を削ぐ。このコースには「何合目」の標識の代わりなのか、小さな祠に干支の陶器像が置かれている。見過ごしたものもあるのだろうが、まずはウサギ。針葉樹林帯もすぐに終わり落葉樹が多くなると、すでにほとんど葉を落とした林はますます明るくなる。穏やかな日射しを受けながら枯葉を踏みしめて歩く。登山道は規則的にジグザグを繰り返していて歩きやすい。大森氏はおそらく昔の仕事道だろうという。枯葉の茶色一色の中から緑のバッタが飛び出してわれわれを驚かす。翅はないので山に住む飛べないバッタのようだ。

歩きやすい道とはいえ斜度はなかなかのもの。「滑落事故多発」の看板が2カ所に掛けてあった。登りはふかふかで足にやさしい落葉だが下りはそのぶん滑りやすい。戻り道は心せずばなるまい。一汗かいたところで一本(12:00)。この辺りから尚やんがやや遅れだした。かつては2時間までは大丈夫と“豪語”していたのだが、まだ1時間ほどしか歩いていない。周囲を見わたすとガイドにある「株立ちのケヤキ」が多い。普通なら一本すっくり立ち上がる木だが、根本から切られては生え、切られては生えして、このあたりのものは一株から10本前後の細い幹が伸びている。繰り返し伐採されたためだがケヤキの炭というのはあまり聞かない。何に使ったのか謎。それにこのあたりは標高1000mを越える急斜面でケヤキの群生は珍しい。若いケヤキは樹皮が白くて滑らかだ。おなじように多くあったホウノキの若木も樹皮は似ていて区別しにくい。両方とも樹齢がいくと簡単に見分けられる。まあこの時期、周囲の落葉を見れば分かるが。この休憩からしばらく登ると斜度がゆるやかになって20分ほどでコルに出る。これが梅の木峠らしい。木立を通して雪山が見える。北アの槍ヶ岳だ。「頂上まであと3分」の標識があり見上げる先にそれらしき地形が見える。

山頂(12:34-13:37)には先行パーティが居て下山を前に記念写真を撮るところだった。ちょうどいいので、こちらがシャッターを押したり、入れ替わりにこちらが撮ってもらったりと、しばし交歓。合目代わりの干支は山頂でイノシシとなる。歩き出したころは風があったのだが山頂では完全に無風。快晴静穏、まさにひだまり山行にふさわしい。独鈷山の山頂は名前の通り独鈷の先端のように鋭く天に突き上げている。標高1266mながら周囲に視界をさまたげる山もなく全方位に展望が開ける。例によって山座の同定が始まったが、今回はGPSロガーに主要山岳の座標を180ほど登録してあるので正確に方位が分かる。あとでPCで、独鈷山山頂のログの位置と地図の位置を比較してみた。50m以上ずれている。このロガーはこの山頂のような良好な条件だと誤差2.5mだから、おそらく地図が違っている。山頂には三角点があり国土地理院の地図の間違いは考えにくいから転記ミス(地理院データ→GoogleMap[=ゼンリン])だろう。しかし、あとでログをチェックするとトンネルや山間はいたしかたないにしても、意外なところで大幅に軌跡が暴れていていいデータは取れなかった。ロガーをベルトに着けていたからかもしれない。このロガーを買ったディラーはおまけに帽子をくれる。その帽子には天辺にポケットがあり、そこへロガーを入れておくのが理想的だといっている。

ちょっと脱線  このロガー(WSG-1000)は200地点を登録できる。浜風用に自宅周辺のランドマークを20地点ほど、残り180地点は主要山岳を登録してある。山頂の緯度・経度を手でPCソフトに入力し、そのデータをロガーにアップロードする。山頂の座標を地図から割り出すのは結構面倒だが、こういうことを小まめにやっている人が必ず居るはずと探してみると、日本100名山・200名山の座標を調べたサイトがあった。大助かり。また座標表記には度・分・秒のもの(MapFanなど)と度未満を小数 (WSG-1000、GoogleMapなど)で表すものがあり変換が必要になることがある。これも変換用のサイトがある(ただし、地図の緯度の数値は測地系によっても異なるので注意がいる)。ロガーが台湾製で日本語表記には対応していない(繁体字、簡体字はある)のと、入力できる字数に制限があるので、たとえば、槍ヶ岳はYariGT、富士山はFujiSN、北岳→KitaDK(語尾をYM→山[やま]、SN→山[さん]、SE→山[せん]、GT→ガ岳、DK、TK→岳、嶽……)と工夫を要する。180あるそのような山名を現場で小さな液晶画面から見つけるのはけっこう面倒だった。

山頂のプチ宴会は、今朝の残りのパン、ツルヤで買ったローストビーフ、クラコット、ブルザンのチーズ、寿司、揚げたてコロッケ(山頂まで持参して揚げたては意味がないとの意見もあったが好評)に大森氏持参の600円の赤ワイン(香りは乏しいがボディーはなかなか)と缶ビールのロング2本。チャウがビールを買いにいったときついでにプラカップを頼んだが、その代わりが景品のグラスだった。カテ金氏ならともかく山頂でグラスワインは生まれてはじめて。これでもワインが少々余ったのだから梓も可愛くなった。少しアルコールの回ったところで、善さんが禅問答のような質問を連発してみなを笑わせる。帰りはまた同じ道を戻る。心配していた枯葉の積もった急な下りも全員無事に降りられたが、大病以来、右膝が不調の尚やんは大分苦労していた。うっかりスリップして膝に荷重すると激痛が走るらしい。登りはともかく、降りにはダントツの強みを発揮した尚やんが膝をかばってゆっくり降る姿を見るのはさみしい。駐車場帰着(14:40)。

帰途、登山ガイドにある「法住寺虚空蔵堂」に寄った。254号のすぐ脇に仁王門があり参道が奥へ続いている。仁王門を見たときはあまり気乗りがしなかったが、家並みに囲まれた参道を進んで虚空蔵堂が視野に入ったとたんに印象が変わった。解説板に「和様に禅宗様を取り入れて…」とあったが、布袋さんの額のように高く伸び上がる檜皮葺の屋根は「穏やかな禅宗様」 -- 和様に習合した禅宗様とでもいうのか。今頃は田中車に合流し農場に着いているはずのカメちゃんの解説にまちたいところである。長く裾を引いた屋根に守られて幅広の回廊がお堂をめぐっている。そこを一巡しながら軒下を見上げると天井板に無数の大きな穴が空き(ムササビかモモンガか)、所々にスズメバチの巣が懸かっている(もちろん駆除されて抜け殻)。1486年再建(室町後期)の木造建築は最初から白木造りのようにも見え、その素っ気なさが潔くて心地よい。厨子の安置された内陣を除けば、外観で唯一色気のあるのは屋根の箱棟妻面の般若面(鬼瓦に相当)が赤みを帯びているくらいだ。おりからの斜陽が克明にお堂全体の輪郭を浮き立たせて見応えがあった。虚空蔵堂の東側には鞘堂に収まった神社がある。祭神はわからなかったが、この祠も本堂に劣らぬ風格があった。

朝と同じツルヤで大宴会と明日の朝食の仕込みをして帰着(16:16)。恒例により大宴会。今回は大森氏の仕入れて来たワラサとヒラメが好評でまたたくまに売り切れてしまった。カテ金氏差し入れの牛尾はなんと生で、これを茹でるのはえらく時間がかかった(実際、3時間は茹でたが足りなかった)。圧力釜があれば簡単だがカテ金氏は邪道というだろう。茹であがった肉を崩してダイコンおろしの上に載せさっぱり仕上げたが、これこそ邪道と評されそうである。この茹で汁を捨てざるをえなかったのは返す返すも残念。昔のようにデリカで来ているなら持ち帰ったものを。〆は定番、プーチンのペペロンチーノ。議論沸騰の火付け役のカテ金氏を欠いたのは痛かったが、冨山さんの掲示にあったように、この宴の楽しくなかろうはずはない。なんたって、カメちゃんはこの大宴会だけのために遠路、風邪をおして参加したのだ(それにしては、後半は寝込んでしまうが)。食後の談話も延々と続き(近頃、酔っての会話はさっぱり内容を憶えていない)、やがて一人消え二人消えして、日だまりの大宴会は静かに終わった。

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