道草Web

梓日だまり山行 大野山・大雄山

梓編年

2005年11月26日土曜日

晴。このところ快晴続きで天気の心配は皆無。東京駅丸ビル前に7時半集合。後藤、金谷、中村、橋元。

丸ビル周辺の歩道が工事中で、いつもの場所に駐車できず、一周して三菱村のメインストリートへ停める。参加予定の河野さんは、喘息の発作がおきたそうで欠席。金谷氏が葉書を差し出して一筆書けと催促。なんのことかとしばしポカンだったが、再会を期して、河野さんへメッセージを投函するということらしい。なるほど、われわれなら携帯か無線LANでメールを飛ばすところだが、手書き文化の旗手たる金谷氏は、手書きの通信手段をかくまで自家薬籠中のものにしているかと、感服。出発(7:45)。

案内板に渋滞の掲示はあったがさしたることもなく高速をとばす。都心へ向かう反対車線は延々の渋滞であった。大井松田ICから国道246号へ出ずに、まっすぐに県道78号を進んで、「松田入口」の信号で右折。すぐに新松田の駅へ着いた。まだ9時前で、冨山さんは20分の電車で到着の予定だし、東葛隊はまだ高速を走っている。新松田の駅前は狭くて車を停めておけないので、駅の反対側の横浜銀行の駐車場を失敬して借用し、時間をつぶす。ころあいを見計らって後藤さんが迎えに出て、冨山さん、東葛隊(善さん車、鈴木、高橋、大森、亀村)も次々に到着し、全員揃って駐車場を出発(9:39)。

途中、ビールを仕入れに山北駅前の酒屋に寄る。どこからともなくジモティのオジサンが現れて、地図をくれたり、訊いてもいない案内をしてくれる。大野山は頂上部が牧場で、車で入れるのだが、それでは山行にならない。せめて1時間ほど歩こうということで、手前の古宿に車を停める予定だが、様子がわからない。よいチャンスと、古宿の様子を訊ねると、小学校があるくらいだから、駐車スペースは問題ないという。しかし、そうはならなかった。

狭い山道をたどって古宿への分岐の標識を見つけ、そちらを辿ったが、道はどんどん狭くなり、いくら進んでも小学校どころか、杉林の急斜面を切り開いた山道が続く。ついに諦めて戻ることにした。あとで調べると、その道は間違いではなく、大分距離はあるがその先にたしかに小学校はあるし、そこからの登山道もあった。しかし、そちらを目指すならもっと早めに道を右にとっていなければならなかったのだ。要は2つあるハイキングコースのどちらでもない、真ん中の車道を選んでしまったことになる。分岐に戻りしばらく登った路傍に駐車スペースがあったので、車を置き、大野山を目指す(10:40)。

車道歩きではあるが、車は少なく、穏やかな日差しを浴びた見事なイロハカエデの紅葉を楽しむことができた。このあたりは道端に、よく成長したマユミが多い(訂正、ツリバナではなく、多分マユミです。マユミの葉とニシキギの葉を混同していました。ニシキギそのものは枝に翼があるので簡単にわかります)。わずかながら、リンドウやナデシコも見られる。やがてそれらしき臭いが漂い、牧舎が現れ、牧柵のなかにホルスタインがのんびり寝そべっていたりする。山行といっても、牧場の中をうろうろしているようなものだけど、風はややあるが、天気良し、景色よしで、気分はすこぶるいい。あまり人も通らないのか、われわれが大勢で歩いていると、牧羊犬のボーダーコリーが吠えたてる。こちらも負けずにひと吠えすると、黙ってしまった。

コースの最後の部分は、牧場の中を柵で区切った階段状の散策路になる。山頂にはモンゴル帽のような屋根をいただく亭があり、登ってきたルートと反対側に丹沢湖を見下ろすことができる。やや霞んでいるので、あまり遠くまでは見えないが、雪を掃いた富士山はよく見える。すでに数組のハイカーがいて、ちょうど風下になる丹沢湖側の斜面で三々五々食事をしている。

山頂は風があるので、少し戻った杉林に囲まれたコンクリートのたたきのようなところで昼食とする(11:33)。食当は冨山さんが食事、尚やんが酒と肉、チャウがつまみ担当である。ビールで乾杯し、つまみはチャウ定番のクラッカーにチーズを載せたスナックからはじまる。尚やんの肉は、ハムとローストビーフだが冷凍にしてしまったのでまだカチカチである。ハムはスライスしてあるので、苦労して一枚一枚はがしながらルイベのような肉をつまみにする。ローストビーフのほうはブロックなのでお手上げ。こちらは夕方のつまみにまわすことになった。ビールがそろそろあいて、当然、ワインへと進むのだが、どう勘定してもワインが2本しかない。9人でワイン二本はいかにも心許ない。善さんとOJは今回ドライバーであるので相当セーブはしているが、それにしても足りない。だれか隠していないかと一騒動したが、どこからも出てこなかった。こちらは、お燗用の徳利セットまでもっているのに、日本酒などどこにもない。ま、それや、これやが話題提供となり、酒が足りないというのに昼食は大いに盛り上がった。クノールの春雨カップで昼食終了(13:17)。

往路をそのまま車へ戻る(13:54)。全員で、買い出しに行くことになり、後藤さんがGoogleマップで下調べしたヤオハンで買い物(14:24〜55)。丹沢湖キャンプサイト着(15:24)。その名の通り、丹沢湖の湖畔にあり、広い中庭を囲んでバンガロー群が建ち並んでいる。丹沢湖ができたおかげで、昔の面影はないが、以前の玄倉バス停の辺りらしい。最初に後藤さんが予約したときは、バンガロー2軒ということだったが、さほど混んでいる様子もなく、大きなバンガロー1軒に変更できた。これなら宴会場はどこで、寝所はどこなどと行き来する必要もない。そのうち、田中君も到着。これで全員揃った。

金谷氏がヤオハンで仕入れた焼鳥や、昼に食せなかったローストビーフなどでなし崩しに屋外の宴会が始まり、アジとイカを大森氏が刺身にし、宴会の本格開始である。後藤さんのつまみが二の矢三の矢と続く。寒くなったので会場を屋内へ移しなおも宴会は続く。今回、酒は2升で十分という話だったのを、それでは心許ないと、冨山さんがヤオハンで1升追加した。山の仇をキャンプ場でということか。酒の量ばかりは予測は難しく、要は、宴会の盛り上がり次第である。今回、宴果てる頃には、追加の1升も残りわずかとなった。盛り上がりのバロメーターとなろう。

2005年11月27日日曜日

快晴。キャンプ場発(9:37)。大雄山最乗寺を目指す。最乗寺は、丹沢湖から山北へ戻り、小田原方面へほぼ南下する途中に位置する。箱根外輪山の一峰、明神ヶ岳の北東山腹にある大伽藍だ。学校の遠足で1回、ハイキングで1回きたことはあるが、関東周辺でこれほどの規模と風格のある寺はそう多くない。冨山さんも、京都の大きな寺のようだとの印象。遠足のときの記憶は、もはやさだかでないし、ハイキングのときは通過したのみだから、今回は、じっくりと境内を散策することにする。

観光客用の駐車場はバスの終点から大分上がったところにある。小さな駐車場に、さいわいにもちょうど3台分のスペースが空いていた。寺の規模からするとずいぶん小さな駐車場だと思ったが、とんでもなかった。帰りに見ると、1つ1つは小さいが、このような駐車場が棚田のように多数配置されていた。そのほとんどが満車だったから、最初の駐車場に停められたのは幸運だったのだ。

最乗寺のHPからマップを拝借
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このマップから分かるように、寺域は三門から左上へ向かって展開する。紅葉の季節とあって、イロハカエデの深紅の紅葉を撮ろうと、あちこちのポイントで多数の写真愛好家がカメラを構えている。遠慮はしているのだろうが、散策者にはうっとうしい。山門にカエデは、テーマとしてはいかにも陳腐だが、美しさの心理はだれにも共通だから、同じ目的で同じ嗜好の愛好家が群れるのもいたしかたのないことか。

この寺の観光的な目玉は、天狗と下駄である。大雄山の守護、道了尊に関係するらしいが、まあ何処も同じ曰く因縁故事来歴だろう。階段を上っては伽藍、次の階段を上っては伽藍と辿っていった。階段の段数は次第に増え、伽藍の規模は反比例して小さくなる。ハイキングのとき、寺域の最上部の小さな奥の院の脇から山道へ入った記憶がある。それを頼りに登ってゆくと、最後に見上げるような階段が聳えている。これが奥の院への階段だ。同行した尚やんが二百数十段を数えたという。最後の階段を上って奥の院へ到着すると、見覚えのある山道が左からさらに高みへ消えていた。あのときの記憶では、えらそうな坊主がハイカーを目の敵にして、この辺りで飲み食いをしないでくれと言われた覚えがある。もちろん、奥の院の前で宴会をやるつもりは毛頭なかったが、あまり愉快な記憶ではない。雰囲気の違うハイキング姿のものたちが、参拝もせずに寺域を通過するのが目障りだったのだろう。そのときは、ここから登山道へ抜ける道しかなかったと思うが、今回来てみると、本堂の対面にハイキングコース入口の大きな案内があり、寺の中を通らなくても明神ヶ岳へ登れるようになっていた。

奥の院まで上ってきたのは、あと尚やん、チャウ、カメちゃんだった。奥の院の裏側に細い山道があり、帰路の標識がある。奥の院にも小さいながら売店があるので、そのため整備されたのだろう、小さな車なら通ることができる。亭々たる杉の大木のあいだを、先ほどの急階段とは対照的なゆるやかな道が続いている。あまりに単調なので、途中の分かれ道で本堂の方へ引き返した。そこからまた、丹念に各伽藍を見物して駐車場近くまで戻ったが、残りのメンバーの姿も見えないので、そのまま参道をバス終点まで下る。バス停で後藤さんに携帯をかけると、車の中で待機しているという。どうやら、こちらが道を間違えたと思ったらしい。大雄山見物終了(11:42)

時分も昼時、レストランはつまらないので、「丸太の森」というところでわいわい昼食をしようというころとになり、一隊が食材の買い出しに、一隊は会場に先行することにして別れた。チェックゲートでいざ入場となると、入場料400円のほかにバーベキュー用の料金が要るという。食材は自分たちで用意するというと、バーベキュー以外の場合は、車輌は入れず、火器は持ち込み禁止。話にならない。公共施設が、維持費の足しにするためとはいえ、利用者に対してこうした差別的な扱いをするというのは腹立たしい。が、最近歳とともに性格が丸くなったので、あっさり引き下がって、ここでの昼食は止めとした。携帯で連絡して、取りあえず予定を中止。大雄山駅前のユニーで合流する。

とにかく予定通り戸外で昼食をすることにして、買い出し隊は火を使わずに済む食材を買い求める。その間、めぼしい場所はないかと駅前の地図などを漁る。しかし、情報不足で、これがという場所は見つからない。昨日ヤオハンへ行く途中、酒匂川の近くを通ったときに、河岸の上面が桜並木になっていて、「文命堤」という案内があった。運転しながら横目にして、これは梓の宴会向きだと話をした。あそこなら遠くはないし、格好の宴会場所だということで、そこに決まった。手頃な場所があれば梓の宴会向きだと嘯くのが常だが、翌日に実現するとは思わなかった。

好天のもと、桜紅葉の絨毯のなかに、丁度人数分が座れる屋根付きのテーブルがある。悪戯でテーブルの甲板は焦げてはいるが、ビールにワイン、見るからに旨そうな総菜類(実体は置くとして)で覆ってしまえば気にもならない。またまた、歓声があがって宴会の始まりである。穏やかな冬の一日が楽しく暮れていった。今回の日だまり山行も、楽しさに充ち満ちて終了した。現地解散ということで、単独の田中車、東葛組の善さん車、デリカとそれぞれが帰途についたのだった。

なお、OJはさほど飲んだわけではないが、酒には弱いので赤面が褪めず、少し時間をつぶすために、カメちゃんに東名終点で環八へ降りてもらった。上野毛駅で後藤さん、金谷氏を降ろし、駒沢通を東京駅へ向かう。カメちゃんも学生時代以来うん十年ぶり、OJは断片的な記憶しかない道路を、“いったいどこへ向かっているの?”と、自他共に許す方向音痴のチャウに揶揄されながらも、なんとか東京駅八重洲口へ戻り着いた。15号を北上したので途中、クリスマスツリーに飾られた銀座通をデリカの車窓から見物するという予期せぬドライブが実現したのであった(17:15)。


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