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鹿島灘海浜公園 2011年4月24日

朝方あまり天気が良くなかったのでぐずぐずしているうちにどんどん晴れてきた。ただ風が強いので長距離は諦める。近場でまだ訪れたことのなかった茨城県立鹿島灘海浜公園にでかけることにした。国道51号沿いにあるので、まっすぐ北上すればいやでも着く。それでは面白くないから、国道より海側の村落道を縫って行ってみることにした。国道の走る丘陵から海岸線へかけて広がる斜面を古来から人が歩くままにできた道である。直線的に進むことはまずないし、アップ・ダウンも激しい。人家の間を抜け薮をくぐり、ときに行きどまって浜へ出たり、逆に国道へ追い上げられたり。

今回もGPSナビは大いに役立った。目視で地図を調べても、あまりに細かく曲折する道を繋いでゆくのは容易ではないが、GoogleMapの検索とドラッグ&ドロップで簡単にルートを設定できる。こんなにぐじゃぐじゃの道はGPSナビには荷が重いかと思ったが、意外なことに大局を見失わないガイドをきちんとこなしてくれた。もちろん細かくチェックすればナビ通りには進んでいないのだろうが、これがなければ所要時間が相当増えたはず。なかなか楽しい道だった。

マップ (起点標高38m) →ナビ/ログ対比マップ(青→ナビ、赤→ログ)

面白いので、ナビの設定ルートと浜風のログの対比を追加した(2011/04/25)。

田圃を埋め尽くすタガラシハルノノギク ハルノノゲシ

大小の神社

村落道を北上してゆくと左手の斜面に頻繁に神社が現れる。枚挙にいとまないというやつで、そのいくつかを載せる。

刈り残された緑が芝生のようにも見える。踏み跡を登ると最後に階段になり、こじんまりした神社がたたずむ。拝殿も本殿もなく、小さな祠を鞘堂が守っている。

ほんの数百mどころか、下の写真の神社などは仲良く並んだお隣さん。

大志崎観音寺

薮のトンネルをくぐると忽然と朱塗りのお堂が現れる。廃寺である。何の説明もなく、あとで地図を調べると大志崎観音寺とあった。

草は刈られているのでなにがしかの手入れはされているのだろうが、お堂の細部を見ると荒廃している。右手の庫裏か集会場かも使われなくなって久しいようだ。

卵塔 僧侶の墓いずれの墓碑にも……権大僧都とあった

丘の中腹の道を辿っていると、いつしか行き止まり。海岸へ追いやられる。

津波で漂着
Haunted House

海岸沿いに行くのも楽ではない。普段でも道路が砂でうまっているとスリップして走れないから、下りて手で押すしかないが、それに加えて、震災による障害も少なくない。

津波で打ち寄せられたゴミ震災による段差

汲上観音堂

海岸から丘の上へ戻されて出会った観音堂。小学校の脇にあった。小学校は耐震工事中。

ヤマザクラ、ヤエザクラがまだ華やか

鹿島灘海浜公園

汲上観音からは51号に出たり村落道へ戻ったりしながら丘の上を行く。GPSナビの終点が地藏堂。ここが公園の北端入口。

地藏堂鹿島灘海浜公園

近くのコンビニで泡とサンドを仕入れ、公園の芝生でお昼にする。昼場の周辺はマツバウンランの群落が埋め尽くしている。

今日の昼場
昼場方向から見た公園施設
ここも棟瓦をやられている

風が寒かったので植木用の風囲いの脇で昼。食後は、ぽかぽか、うとうと、自分のいびきで目が覚めた。

マツバウンランの群落

マツバウンランのアップも撮ったがすべてピンボケ。昼寝のあと公園を一周する。

海岸線に沿って木造のペデストリアン・デッキが設置されているが、通れるのはごくわずか。ほとんどは震災のせいか立入禁止になっていた。

浜風を押してデッキを歩く海岸から公園を見上げる
閉鎖マツとトベラを養殖している

というわけで、目玉の木道はほとんど歩けず、地べたの遊歩道もあちこち立入禁止であった。帰りは、通い慣れた畑の中の51号OJerバイパスを戻るつもりだったが、道を一本読み違えて延々数キロに及ぶ遠回りをしてしまった。ま、この季節、広大な農地をのんびり走るのは悪くないが、今日は冷たい向かい風が強くて往生した。

本日は、これまで。

  
   
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