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北ア笠新道 2012年8月4−6日

昨年、山仲間で計画し天候不順で断念した笠ヶ岳に再挑戦した。笠新道を登ってクリヤ谷ルートを降る。新穂高温泉を起点として登り7時間半、降り6時間を要する。われわれの登山スタイルは幕営が基本だから、テント、寝具から食器、コンロ、燃料、食料、飲料まですべて背負って登行する。総勢4名、うち女性1人。詳しくは控えるが、最高年齢70歳、平均年齢60代後半。

食料計画は、レトルトカレー、インスタント麺などは忌避するところで、下界の食事に遜色ない献立を用意をする。最大の問題は飲料(水は除く)。ビール、酒、ウイスキーで容器を入れると比重1を超える荷物を担ぐ必要がある。実際に背負い上げたのはビール・ロング缶12本、ウイスキー1リットル、日本酒1.5リットル。北ア広しといえども、この平均年齢でこれだけ潤沢にアルコールを用意するパーティーはほかにあるまい……などと意気高し。まあ、それは歩き出すまでのことで、後悔先に立たず。

前日3日に新穂高温泉の駐車場へ入り、車の脇に幕営。前夜の戦勝祈願で軽く一杯は言うまでもない。

笠新道(4日)

→マップ 笠新道登り 始点標高1,054m

※ 森林帯ではGPSの電波がキャッチできず、データは相当暴れている。とくに補正はしなかった。

早朝にテントをたたみ勇躍出発。

矢印が笠ヶ岳 あそこまで今日中に歩くのか?
前方の家屋群は新穂高温泉

新穂高温泉の駐車場から蒲田川左股沿いの林道を約1時間で、笠新道の入口に着く。ここから本格的な登行。杓子平まで4時間半ほど樹林帯を登る。

ヒヨドリバナで吸蜜しているアサギマダラ 

このコース前半の登りは穂高連峰の展望コース。今日は空気が澄んで視程はきわめて良好。樹林帯の合間からまず焼岳が見え、やがてその右奥に乗鞍岳が姿を現す。

中央は焼岳、右奥は乗鞍岳
シモツケソウササユリ

4ピッチも登れば、最初の鼻息はどこへやら、息絶え絶えに足取りははかどらない。しかし、次の一歩を踏み出さなければテントサイトにはたどり着けない。

ところどころに……………………標高案内
ノアザミにアオハムシダマシ?キヌガサソウ

標高2,000mを超えるようになると穂高連峰の全容が望める。その中央部の北穂高岳の西壁、滝谷はひときわ厳しい岩襞を刻んでいる。若い頃は涸沢をベースに何度この壁を攀じたことか。

左端、槍ヶ岳南岳、北穂、奥穂、西穂

樹林帯を抜け草付きの急登を上り切ると杓子平へ出る。ここは抜戸岳の懐に抱かれた広いカール状地形。ここで景観は穂高連峰から笠ヶ岳を盟主とする連嶺に切り替わる。

 杓子平入口から見る笠ヶ岳(左端)正面は、2,737mピーク
杓子平を進む  左に見える抜戸岳の南(左)稜線を越えて縦走路へ杓子平で一本

杓子平で斜度は一段落するが、そこを抜けると抜戸岳へも急登だ。抜戸岳の南側の稜線を越えて縦走路へ出る。

縦走路の出合(左側へ進む)縦走路をあと一踏ん張り
最奥に笠ヶ岳が見える

笠新道入口を7時ごろに出発し、笠ヶ岳キャンプ・サイトへ着いたのは4時を少々回っていた。

幕営してほっとひといき

キャンプ・サイトの夕方は四方に積乱雲が立ち上がり濃淡さまざまな雲の饗宴。

南西側北西側
北東側南東側

このキャンプ・サイトの脇は雪渓で水源は豊富。テント設営のかたわら、レジ袋にたっぷり雪を詰めてビールを冷やす。夏山で重荷を担っての登行のあとに、冷え切ったビールでの乾杯。この至福は経験者でなければわからない。夕飯はキュウリもみなどのつまみに、メインディッシュは、人形町今半の豚のロースをショウガ醤油に漬けたもの。食当がすこし奮発したというだけあって美味。醤油がききすぎるといけないと、酒を多めに使ったのが正解だった。はじめは過労のため食欲もさほどでなかったが、体力を回復するとともに盛り上がり、日本酒の規定量をオーバーしてしまったのはいたしかたない。

秩父平漫遊(5日)

今日は軽荷で稜線散歩。杓子平からの合流まで戻って、さらにその先の秩父平まで。昼のプチ宴会用に各自行動食を持参する。秩父平に残雪の可能性はあるが、念のため雪を詰めたレジ袋にロング缶2本とウイスキーの水割り500mlを背負う。

→マップ 秩父平往復 始点標高2,761m

早朝の笠ヶ岳と山荘早朝のキャンプ・サイト

昨日の疲れは残っているが、今日は荷が軽いので花や景色を楽しむ余裕がある。

軽装で縱走へ
黒部五郎岳から三俣蓮華岳の稜線
奥左に薬師岳、同右に赤牛岳、中央最奥は立山・剣岳
チングルマの穂チングルマの花
一行の前方に槍ヶ岳中央奥のギザギザは槍ヶ岳
イワヒゲタテヤマミヤマリンドウ
ハクサンイチゲミヤマダイコンソウ
ミヤマタンポポ
コメススキ 手前は花の終わったイワカガミゴゼンタチバナ

秩父平は東に開けている以外は、周囲を岩峰に囲まれた窪地。雪田もたっぷり残っていた。わざわざ雪を詰めて冷やしながら飲料を運ぶ必要はなかった。しかし、これはよくあることで、あてが外れて雪がなく、ぬるいビールを飲むことに比べれば問題ではない。

秩父平から来し方

つぎつぎと登ってくる老若男女ならぬ若抜き男女の列を眺めながら、雪田の縁に腰掛けてプチ宴会。4人でロング2本では物足りない。水割りの500ミリが頼もしかった。

つぎつぎと登ってくる……………………登山者の列

都会の電車内なら席を譲りたくなるような御仁がつぎつぎと登ってくる(他人ごとではないが、ははは)。

雪田縁の宴会場

プチ宴会を済ませてのんびり戻る。

アオノツガザクラシナノキンバイ
タカネヤハズハハコイワギキョウ
ガンコウラン 雄花クロマメノキ
ミネズオウ 手前はアオノツガザクラ
テントサイトへの帰途 手前はオンタデ
ミヤマコウゾリナハイマツ 雄花

今日の夕餉は、マッシュポテトのサラダ、オイルサーディンとニガウリの和え物、そしてわが山仲間定番の「茹で牛」。これは、牛肉の塊を保存のためミソでくるんでおいたもの。薄切りではミソに負けてしまう。ブロックあるいは極厚のステーキ程度がいい。今回は和牛のイチボ。これをたっぷりの湯で茹でて、薄切りをレアで食す。もちろん自宅でやっても立派なメインディッシュとなる。

マッシュポテトのサラダ、茹で牛、オイルサーディンとニガウリの和え物

サイトに帰着すると、われらがテントのそばで中高生の団体が幕営の用意をしていた。彼らとは秩父平からの帰途、縦走路でいっしょになったが、流石に若い。登りのときのわれわれよりはるかに重荷を背負って、またたくまにわれらを抜き去っていった。われわれのテントは彼らに取り囲まれている。生徒13名(高校生3名、他は中学生)に引率の教師とOBが各1名。生徒が炊さんしているあいだ、先生とOBは一杯やっている。ご近所の会話の行きがかりで、仲間の女性手作りのラッキョウと茹で牛、それにあまりそうなウイスキーなどをごちそうした。茹で牛には感嘆したようで、礼を述べがてら作り方を訊きにきていた。

笠新道を戻る(6日)

8時過ぎには就寝したが、寝入るかどうかのうちに、テントのフライを雨粒が叩きだした。すぐ止むかと期待したが、これを期に断続的に激しい雷雨となる。遠くの下界から聞こえていた雷鳴がしだいに近づいてきて、頭上で鳴り響く。こんな状態が、朝方まで続いた。テントの底もマットやザックも水浸し。雨のテントは悲惨なものである。4時頃にラジオの天気予報を聞いていた仲間が、ロンドン・オリンピック卓球女子団体の日本決勝進出を告げる。しかし、天気は好転せず、予報は「曇りときどき雨、ところによって豪雨」などと、まるで役人の言い訳のようにどうにでもとれる。おっと、予報官は役人だったか。前日までの予報では、崩れるのは夕刻からのはずで、まるで当たっていない。

笠ヶ岳を越えてクリヤ谷を槍見温泉まで降るコースには渡渉が3回ある。豪雨の可能性がある以上、断念せざるをえない。このコースを選んだには理由があった。今回同道の男3人は、いまから30年以上前の1981年に笠ヶ岳から南西に派生する笠谷を遡行し、笠岳直下のクリヤ谷コースの途中へ抜けている。そのときは、いつでもこられるとばかり、笠ヶ岳には登らずそのまま下山した。そこを繋ごうという気持ちがあったのだ。

この天気でいまさら笠の頂上を踏もうという気持ちも起きない。雨の小やみになるのをまってテントを撤収し、笠新道を戻ることにした。

→マップ 笠新道  始点標高2,761m

しかし、実際の天気は回復傾向。笠ヶ岳を遠ざかるにつれて、雨足は途絶えるようになった。いまさら戻ることもできず、悔しい思いをする。

薬師岳方向に晴天が覗く稜線から杓子平への分岐
杓子平へ下るミヤマキンポウゲ(レンズが濡れている)
シナノキンバイオオヒョウタンボク
クロユリベニバナイチゴ
クルマユリシモツケソウの蕾とハクサンフウロ
杓子平出口にて、さらば笠ヶ岳 予定していた下山道の稜線を望む

帰りは当然、登りに比べてはるかに軽荷だったが、それなりに疲れた。思えば一昨年に南ア聖岳を目指したときは、今回より荷は重くても疲れは少なかった。わずか2年である。体調の波はあるにしても、基本的な理由は残念ながら言うまでもなかろう。じわりじわりと衰えゆく体力を噛みしめながら登るのも、これからの山の味わい方になるのかもしれない。

  
   
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