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Sidewalk投稿 → 初収穫のキャベツ (01/12)

碓氷峠鉄道旧跡・虚空蔵山 2012年12月21-22日

近年の恒例で、年末に知人の佐久の農場をベースに近辺を訪ねた。総勢7人、車2台に分乗しての旅だ。

碓氷峠鉄道旧跡 22日(土)

せっかくの連休だが、初っ端は雨である。旧信越線横川駅付近の街道筋にただ一軒残った釜飯『おぎのや』でセルフサービスの昼食。食後は、碓氷峠関係の鉄道旧跡を訪ねる。旧横川駅の東側にある鉄道文化村は有料なのでパス。車を横川駅の近くの無料駐車場にとめて、まずは全員がそろって行ける碓井関所跡と旧丸山変電所を訪ねる。

鉄道文化村碓井関所跡
鉄道文化村の保存車両

関所跡は駅のすぐ近くにあったが、丸山までは旧信越線の軌道「トロッコ列車ライン」に沿った単調な登りを行く。途中で、反対側の終点「峠の湯」から下ってくるトロッコ列車とすれ違ったが、乗客はいなかった。

丸山へ向かう途中トロッコ列車とすれ違う

レンガ造りの旧丸山変電所は2棟あり、上手(写真奥)が機械室で下手が蓄電室だという。なぜ蓄電するか謎だったが説明板によると、通常電力だけでは最大勾配の駆動には不十分であったため、機械室で交直変換した電気を蓄電池に貯め補助電源として使用したとのこと。機能一点張りの施設ではあるが、時を経たレンガ造りはそれなりの造形美を醸している。

旧丸山変電所

変電所まで往復して車に戻り、旧街道を「めがね橋」まで登る。レンガ造りの脚の長いアーチ橋は見応えがある。この辺り地震は少ないのかもしれないが、よくぞ長い年月を耐えて屹立しているものだと感心する。

めがね橋

歩行組はめがね橋から歩道に整備しなおされた軌道跡を熊ノ平まで散策する。車組は熊ノ平まで先行して、われわれを拾ってくれる。歩道はほとんどがトンネル部分で間を橋梁が繋いでいる。天井にぽつんぽつんとわびしげな明かりが灯るが、これが消えると漆黒の闇だろう。

第6号トンネル 歩道は旧信越線軌道
この明かりが消えれば…………開口部から旧道が見える

トンネル横壁のところどころに開口部や浅い窪みがあり、はじめは意味がわからなかったが、どうやら待避施設のようだ。ちょうど人間の背丈ほどの馬蹄形をしているので納得した。横壁の開口部やトンネル間の橋梁部からは並行する旧道が見下ろせる。

待避所熊ノ平 殉難者を祀る社

熊ノ平はその名の通り山中にわずかに開けた平地だが、ここは旧駅の遺構とともに殉難の母子像と社がある。山崩れで国鉄職員50名が亡くなったというから、当時は大騒動だったに違いない。このような場所の駅に普通の乗降客は考えにくいから、この機関区を保守する職員が家族ごと熊ノ平に居住していたのだろう。仲間が熊ノ平まで迎えにきてくれ、駐車場へ向かう。そのまま旧街道を進み碓氷峠を越える。何十年ぶりかの軽井沢は霧に包まれていた。中部横断道路の解放区間(佐久北から佐久南まで)を経て知人の農場へ向かった。

虚空蔵山 23日(日)

和風朝食(納豆、塩鮭、味噌汁)をしたため、登山組4名は上田市街の北西に位置する虚空蔵山へ向かう。虚空蔵はコクゾウと読むが、穀藏に通じるからだろうか。この辺りにはめずらしく岩壁を前衛とする虚空蔵山は、上田市街の少し手前から、たぶんあれだなと見当がつく。登山口は国道18号沿いの上塩尻郵便局を右折した住宅街の奥にある。持参した登山ガイドの説明はすらすら読めるが、現場で照合してもピンとこない。偶然、庭に出ていた地元に人に尋ねて登山口にたどり着いた。案内標識は「座摩神社」「兎峰」「虚空蔵山」を示している。座摩神社にはZama Shrineと振ってあったが、正しくは「ざますり」と読むらしい。

登山標識
登山道の取り付きは座摩神社の参道

山腹を斜上する登山道を少し行くと左側に古びた木造の鳥居が下界を見下ろす向きに立っていた。つまり、登山道は鳥居をくぐるのではなく鳥居の裏を通る。鳥居からのぞくと急な階段が登ってきている。これが座摩神社の鳥居で階段が本来の参道であった。登山標識は側道の入口にあったことになる。

座摩神社鳥居

ほどほどに整備はされているが、落石でもすれば眼下の家屋の屋根を直撃しかねない急斜面である。熊ノ平の殉難ではないが、この下の住民はさぞ不安ではなかろうか。冬木立を透かして長野新幹線の軌道が眼下に見える。さっき取り付いた登山口のすぐ東側でこの山の真下に貫入しているのだ。ときおり、トンネルを出入りする列車の音が聞こえるが、高い所から見下ろしているせいか在来線より騒音が少ないように感じる。斜度が一段落して開けた台地に座摩神社が鎮座する。祭神は保食(ウケモチ)の神で、ここでは養蚕の神として信仰されていた。ウケモチは日本書記に出てくる食物の神だが、月の神ツクヨミに殺されたあと、体の諸処から農産物が生じる。ウケモチの眉からは繭が生じたという。古事記では同等の神格のオオゲツヒメがいて、こちらはスサノオに殺されて身体各所から穀物が生じる。

新幹線がこの山へ座摩神社
座摩神社由来

神社の左側を迂回して登山道は続く。この山を覆う樹林はマツを残してすっかり葉を落として林間の道は明るい。クヌギが多いようで、特徴的な針のような突起をもつ長楕円の落葉が山道を覆っている。そんな林で仲間が緑色の繭を見つけた。形は普通の蚕の繭と同じだが白ではなく薄い緑色だ。あとで調べてみると、天蚕(テンサン、ヤママユガ)の繭であった。この他にも、ウスタビガの繭もあった。こちらは繭の上部が縫い合わせたように閉じているので、縄文土器の水差しのようにも見える。テンサンのものより鮮やかな緑色で数も多いので、いまごろの景色のなかではよく目立つ。下山時の道ばたでも多く見かけた。どちらもこの辺りに多いコナラやクヌギが食草だという。

マツ以外はすべて落葉樹の明るい山道

斜面を覆う疎林を抜けて稜線へ出ると登山道の左側に大きな沢が開ける。その奥壁が柱状列石を横倒しにしたようなもろい岩壁で、崩壊した岩屑が谷底に積もってガレを成している。中1本入れて山道を登り詰めたところが兎峰直下のコルであった。右手、ほんの数十メートルのところに兎峰のピークが見えるが、目指す虚空蔵山とは逆方向なので、だれも登ろうといいださなかった。ここから虚空蔵山へ向かって枯葉に覆われた道が続く。快適そうに見えるが、枯葉のしたの地面は外傾して足首に負担がかかり、しかもぬかるんでいるのでひどく歩きにくい。だがこの状態は長くは続かず、まもなく虚空蔵―太郎山を結ぶ主陵線にでる。兎峰のコルが主陵線だと思っていたが、実際には主陵線から南に派生する枝尾根であった。主陵線へ出てから虚空蔵山まではほんのわずかだ。

虚空蔵山の山頂は小広い草むらで、周囲に灌木しかないので360度の眺望がほしいままである。朝から吹いていた冷風も止んで、陽光の降り注ぐ山頂は絶好の昼場となった。南には上田市街を貫いて千曲川が蛇行し、その遥か先の山塊の奥に富士山が顔を覗かせている。北には菅平と根子岳が、西には篭ノ登の山塊(浅間はその裏に隠れている)が望まれる。東には坂城の町並みの向こうに北アの雪稜が見えるはずだが今日は塵埃が多くて視程に入らない。昼食とビールは、コンビニで仕込んできたが、こうなるとワインを買わなかったのが悔やまれる。

 
山頂より 上田市街と千曲川左奥菅平 右奥篭ノ登
坂城市街 北アは雲の奥だろう

帰りは頂上から来たほうとは逆に西へ下る。山頂を少し下ったところに、「ナンジャモンジャの木」の案内がある。ナンジャモンジャは得体の知れない木に付けた名前だろうが、われわれの知っているヒトツバタゴ(モクセイ科)ではなくマメ科とある。あとで調べるとフジキ(藤木)あるいはヤマエンジュ(山槐)の和名で牧野などに載っていた。Webなどで写真を見るとイヌエンジュに似た印象がある。登ってくる途中の山道にも枯葉に混じってマメ科の実のサヤが多く落ちていたが、この山にはこの木が多いのかもしれない。

ナンジャモンジャの木

この時期、花はもちろんなく葉も落としているナンジャモンジャを眺めてからノゾキと呼ばれるコルを目指して下る。しばし、灌木の中の急下降だが、太いロープが取りつけてあるので心強い。これがないと、濡れた泥の斜面で数回のスリップは覚悟するところだ。痩せ尾根だから滑落の危険もなくはない。

滑りやすい急降下

ノゾキまで下りきったが、先のルートが見当たらない。尾根通しに和合城趾へ抜ける道はあるが、われわれはコルから左側の沢へ下りたいのだ。持参したガイドでは林間のジグザグ・ルートがあるはず。仲間がしばらく周辺を探査して、沢へ向かって右へトラバース気味に下る踏み跡を見つけた。ガイドは10年ほどまえのもので、最近はあまり人が入らないらしい。それでなくてもザレた斜面を落ち葉が覆ってルートはわかりにくい。そうとう慎重にコースを選びながらゆるゆると下る。その頃になると、仲間のひとりが右足首に力が入らないと不調を訴えだした。後ろから見ると、足首が捻挫したように外側に曲がっている。本人はさほど痛くないというものの、これは辛そうである。他の仲間のも借りてダブル・ストックで下る。

踏み跡は落ち葉で覆われ判然としない

しばらくは途切れとぎれの踏み跡をジグザグに辿ったが、やがて沢筋が狭まるとともに蛇行が収束し右岸にケルンが多く積まれているようになる。このあたりで、苦闘していた仲間も「やっとルートらしくなった」と安堵の声を上げる。やがて、左岸にも赤布を垂らした木立が見えるようになり、斜度が一段落したところで、はるか下方右手に神社らしき屋根が見えた。先着した仲間が社脇で手を振っている。ガイドにある虚空蔵神社であろう。

虚空蔵神社

神社前で一休みして正面の参道を下る。参道は左に向かって山腹をトラバースし、稜線を越えてしばし斜上すると登りに通過した座摩神社へ出た。これでルートは一巡した。

本日はこれまで。

  
   
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