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大杉神社・神宮寺 2011年4月17日

快晴。昨日とは一転、空気がきりっとしまって寒いくらい。やや風はあるが絶好の浜風日和。今日は、稲敷市の大杉神社、神宮寺をメインに訪ねることにした。神社の由来などはHPを見てもらうとするが、それによると鹿島、香取よりも由緒ある神社らしく書いてあるので興味が湧く。ただ、その写真や説明(広告?)を見る限りは当方の趣味ではないのだが。

マップ (起点標高38m) 

(2011/04/20 マップに表示する既定タイプを「航空写真+地図」にしてみた。こうしてみると、農地以外の丘陵部はほとんどがゴルフ場であるのが分かる)。

北浦を離れて行方丘陵への登りにかかる。この時期、普段は一面の緑の中に、さまざまな色調のヤマザクラが彩りを添えている。そのおかげで坂の途中にあった一本の高木がヤマザクラであることに気づいた。長い急坂をあえぎながら、あと100年経てば「行方のヤマザクラ」と評判がたち人寄せになるだろうと思った。

行方丘陵の崖縁にあるヤマザクラあと100年経てば人があつまるだろう

西蓮寺の桜を見に北浦の堰堤道路を走ったときは、あまり大きな地震の被害はなかった。しかし、霞ヶ浦はそうはいかなかったようだ。堰堤道路はいたるところアスファルトが波打ち、亀裂、陥没がおびただしい。自転車だからなんとか走ったが、車はもちろん走れない。

断裂した堰堤道路(帰途撮影)
補修工事が始まっていた 奥は稲敷大橋もう進めない

稲敷大橋の手前で補修工事が始まっていて、それ以上進めない。河川敷にも歩道があったので、そちらから迂回して橋へ抜けた。

なんの畑かな?ブロッコリーでした

花の咲いた状態ではもちろん商品にならない。種を採るのかと思ったが、アブラナ科は簡単に交雑してしまうからそうではなさそうだ。ようは放置されているのか。

コンビニは遠い

稲敷市のだだっ広い畑の中をGPSを頼りに漕ぐ。川縁や畦間の砂利道をひたすら漕ぐ。平坦な農地のあちこちに点在する丘陵のひとつを登り詰めると大杉神社があった。しかし時間は昼に近い。まずは、コンビニを探さねばと、神社脇を通る国道125号へ出て、道沿いのお宅で雑談をしていたご婦人がたに訊ねた。「この道をそのまま進んで、2つほど丘を越えて下りた橋のたもとにある、だけど遠いよ」との返事。いやな予感。案の定、3キロほど漕いで着いたのは信太古渡(しだふっと)の橋の北詰にあるコンビニだった。ここは2月に江戸崎を訪ねたときに通過している。昼を過ぎていたので目当てのサンドはなく、あり合わせのものと泡を仕入れる。近くの川の土手が今日の昼場となった。風は冷たいが日がたっぷり差して心地よい。目の前の流れは江戸崎から霞ヶ浦へ流れ込む小野川である。前の葦原でごそごそキジの雄が餌をあさっている。こっちも飯だ。

昼場

こうの(鴻野)菓子店

昼の後は同じ道を戻る。来るとき、信太古渡へ下る長い坂の途中で、交通整理係が出て行列のできている店があった。ほかに人家もない山中の一軒家で、異様な賑わいである。なんとこれが大福屋。あの和菓子の大福である。これは買ってみずばなるまいが、帰りでよかろうと行き過ぎた。戻りに寄ると、時分を過ぎたせいかだれも並んでいない。店前に浜風を止めて大福一箱1000円なりを求めた。箱は小さいがずっしり重い。家に帰って夕食後に食べてみた。普通の大福より小振りで2口くらいで食べられる。皮が薄くて餡がたっぷり。こしあん、つぶしあん、よもぎ味の3種類があり、3個たべてちょうどよい量。和菓子の味を細々と評価する舌はもちあわせないが、山中の一軒家が繁昌する和菓子屋であるという意外性が楽しく、それが満足のゆく味だったというのが嬉しい。

殉難十三名主墓碑

ここも来がけに国道からちらと見えた桜並木に寄ってみると「十三塚」とあって、南北朝時代に政争に巻き込まれて殉難した名主13名の墓が連なっていた。南北朝といえば舞台は京都周辺と思いがちだが、思わぬ所に影響が及んでいる。戦国末期の「南方三十三館」の事件とは、時代はたいそうさかのぼるが、ここでも佐竹氏は敵役である。

南北朝時代 十三名の名主の墓碑

神宮寺(天台宗 補陀落山)

さきの十三塚の碑文にある、北畠親房が一時反抗の拠点としたという神宮寺城跡はこの寺の近くにあるようだ。地図では大杉神社の先にこの神宮寺があったので、別当寺かと思ったが違っていた。こちらは、高田神社のそれだそうで、いずれまた来てみることになるだろう。

仁王門奥は観音堂
補陀落山

仁王像はたいがいネットで保護されて写真に撮りにくい。この場合も同じだが、下部が格子になっていたので携帯を差し込んで撮った。低い位置からなので適当にシャッターを押したが、意外によく撮れていた。鹿行地方だとオモチャのようなものが多いが、さすがにしっかりした造形。

観音堂
聖観音菩薩の厨子か?

仁王門、観音堂の南東に並んで本堂、客殿がある。

本堂前の庭園長屋門のような客殿?
神宮寺本堂 右客殿?

大杉神社

さらにひたすら国道を戻る。この神社は道路から一段高い位置にあって、いやでも目に飛び込んでくる派手な造りだ。ホームページを見ても商魂横溢。来てはみたものの、あまり説明すると胸が焼けそうなので簡単に。

正面の門は麒麟門と呼ぶらしいが立入禁止
拝殿麒麟門裏
隣の安穏寺から見た大杉神社 左本殿本殿

あと調べで気づいたのだが、この神社の御神体のスギがだいぶ奥まった駐車場の先にあったのだ。これはちょっと失敗した。次回、神社は見ずとも、このスギは見ずばなるまい。

安穏寺(天台宗 龍華山)

大杉神社と同じ敷地の北西側にあるのが安穏寺。こちらが大杉神社の神宮寺(別当寺)であった。

天台宗龍華山 安穏寺常陸坊海存とは? 勧進帳?

常陸坊海存とは唐突に勧進帳かい?と意表を突かれた思いだったが、大杉神社とは縁が深いという。実在の人物かはっきりしないようではあるが。

黒い瓦に白い目地のいかつい屋根が無骨な印象を与えるが、お堂の木組みや内陣は朱塗り。くすんではいるが意外に華やかな印象を与える。

本堂内陣 白いのはカメラのライトの反射
本堂の木組み床下にも出組の斗栱が
大杉神社から、神楽殿(左)、末社群の奥に見える安穏寺

大杉神社と安穏寺を見終わって、境内裏に止めた浜風で表へ。倉庫の脇にスミレの群落があった。

スミレは難しい

このあともまだいつくか寺社を訪ねたが、まだログの編集も済んでいない。このあたりで前編了としよう。

後編

  
   
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