OJerBlog
 
涸沼 2010年1月24日

快晴静穏、浜風のシフトに不安はあるが、ザックに整備工具をしのばせ、ひさびさに長距離で涸沼を目指す。浜風定番の国道51号に並行する農道ルートで北上し、鉾田市街の北東で県道114号へ合流して、すんなり涸沼へ出る予定であった。114号はこの辺のメインストリームのようだから地図も持参しなかった。ところがこの県道が曲者で、途中で「メロンロード」という鉾田市の地方道へ誘導されてしまう。おかげで気がついたときには、日本原子力開発機構の手前で国道51号へ出てしまった。

マップ

ひさびさに新宮神社を通過長い参道

はてどうする。日本原子力機構と西隣のゴルフ場が広大な敷地を占めていて、そのまま51号をゆくと大回りになる。機構の手前で小さな道に左折して涸沼方面を目差した。携帯のわかりにくい地図も確認したのだが、結局、ゴルフ場敷地を分断している道路へ入り込んでしまった。最初はフェンスに囲まれた舗装道路だったが、ゴルフ場を抜ける辺りで山道にほおり出される。しかし、この山道を下りきったところが幸運にも鹿島線の涸沼駅の真裏だった。

家を出たのが8時半頃で、涸沼近辺へたどり着いたのが11時半。そろそろ昼飯を仕入れなければならない。コンビニを求めて涸沼南岸の県道16号を西へ走った。かろうじて食堂らしきものはあるがコンビニがない。県の保養施設「いこいの村涸沼」をすぎ、網掛(あがけ)公園への分岐を過ぎ、結局、涸沼の西端で県道50号と交差するところにミニストップがあった。やれやれ。

さて、どこで昼飯にするか。いままで走ってきた道路は涸沼から大分離れていて涸沼はほとんど見えない。霞ヶ浦や北浦のような湖畔の周回道路はなさそうで、戻っても面白くない。県道50号を北にとって涸沼大橋方面へ進んだ。この辺りでは、涸沼は広い湿原になっていて、そこへ涸沼川が流れ込んでいる。橋の途切れたところで、涸沼川の堰堤へ抜ける小道が見えたので、入り込んだ。運良くそれが涸沼のサイクリングコース。広大な茅原の中央を小道が真っ直ぐに延び、その遙か先に筑波の山塊。この向きから見ると筑波は双耳峰ではなくきれいな三角形の単峰に見える。

すぐ上流に格好の昼飯サイトが見つかった。アシを刈った跡で広々と見晴がいい。少し土手を下って一段落したところに陣取る。まったくの無風で日は燦々。うっふっふ。夏ではないのでお昼の友は普通サイズのエビス缶にしたが、ぽかぽかでいい気持ちになった。

涸沼サイクリング道路 西向きアシを刈った跡

これまでのところ、涸沼南岸に見るべき所もなく、戻りがてら古い神社でも探すつもりだった。昼食後にコースを戻ってみると、50号を越えた先にもサイクリング道路が延びている。これなら北岸を少し見てもいい。

涸沼サイクリング道路 東向き西端から見た涸沼 

河口は水鳥には絶好の餌場であり、そこへ集まる鳥を狙うのか大きなカメラを手にした野鳥ファンが散見される。ひさしぶりにカワセミの姿を見ることができた。サイクリング道路はあまり長くは続かず、沿岸の車道へ出るが、車の通りは少なく、のんびり走ることができた。

親沢公園

河口から1キロほどのところで親沢公園がある。茨城百景の一つだそうだ。涸沼はこの辺りで南北にくびれている。その北側の突起が親沢鼻(親沢公園)、南側が弁天鼻(網掛公園)。親沢鼻の周辺はかわいい公園になっている。キャンプ場にもなっていて設備は揃っている。絶好のサイトだがシーズン中は混むだろうなあ。今日などは最高であるが、流石にこの時期に天幕は見えない。東京近辺にこんな場所があれば、人が溢れるだろう。

親沢鼻から東を見る石積が本当の“鼻”
ウメが咲き出していた今年初めてのウメ

親沢鼻から2キロほど先に「涸沼自然公園」があった。公園事務所のパンフによれば、涸沼湖畔の丘陵地帯に展開する広大な面積をもつ茨城町立の公園。自然を勝手に作り替えて自然公園もないものだとおもうが、仲間と泊まりがけで野外の宴会でもやるにはいいかな、ははは。ここは入口から遠望するだけにして、同じ道を引き返す。

戻り道 奥に筑波山が見える涸沼大橋から見た涸沼川と涸沼

涸沼南岸のいこいの村の近辺に、ヤマトタケルが弓を残したという伝説のある矢神神社があるという。これとおぼしき辺りで、地元の人に訊いてみたが、まったくらちがあかない。この辺の人は神社といえば、名前がなんであれ、最寄りの神社なのである。“矢神”と訊ねているのだが、ああ神社けえ、それならあそこだ、ってな具合で、近くの神社を教えてくれる。

伝矢神神社 その1は山の中供えた餅はまだ新しい
伝矢神神社 その2は田圃の中こちらは男根信仰

おおらかなものである。気付けばこの2つの神社は指呼の間にある。これで矢神神社は諦めた。細かい地図を持参すれば訊ねる必要もなかったのだが、上の写真の田圃の神社から、わずか100mほど先に本物はあったのだ。ピンポイントで近くのひとに訊ねないと、目的の神社には遭遇できないようである。

国都神神社

次は国都神神社。こちらは、以前に訪ねた田崎のカエデの近所であることは調べ済みだったので簡単に見つかった。田崎のカエデとは、涸沼に流れ込む大谷川を挟んで、対面する丘の中腹にある。この辺りの神社は、どんなに小さな祠でも、しめ縄と幣が真新しい。まだ1月ということもあるだろうが、すみずみまで信仰が息づいていることを感じる。あと何年続くかは知れないが。

国都神神社急な参道
斜陽の差す国都神神社 拝殿
拝殿から覆堂内の本殿と周囲の風景が見える
これは珍しい構成 まるで蜷川演出の舞台の終幕?

この頃に大和王朝の勢力がこの地に及んで根を下ろしたのだろうか。国都神、すなわち“祇”であるから、その外来の征服者大碓氏がこの地の産土(うぶすな)の神に敬意を表して建てた神社ということになる。

神木の大椎もう寿(樹)命も尽きているか
背後から

さて、これでおよそ目標は達した。あとはひたすら浜風を漕ぐ。

本日はこれまで。

  
   
現在の閲覧者数:
inserted by FC2 system